『日光東照宮』は栃木県の日光市にあり、とても有名な神社ですよね。きらびやかな社殿群があります。…では、その日光東照宮に引けを取らないほどの豪華絢爛な社殿群を持つ神社が、茨城県の稲敷市にあることはご存じでしょうか?
「稲敷市、いなしきし…? 確か、霞ヶ浦の南のあたりにある市ですよね。そこに有名な神社が…?」
あるんです。その名も『大杉神社』! 近くでは「あんばさま」とも呼ばれています。百聞は一見にしかず。早速、現地に向かってみましょう!
あんばさま総本宮
大杉神社の裏手には広い駐車場があり、無料で車を停めることができます。

地理的に見ると、大杉神社は「坂の上」。古代の霞ヶ浦は現在よりも広く、この大杉神社の近くにまで水が来ていました。『常陸風土記』には「安婆之嶋」(あんばのしま)として登場します。遠くから見れば「島」のように見えていたのです。
この安婆之嶋に、巨大な杉が立っていました。古代は現在よりも水運が栄えていましたから、霞ヶ浦を行き交う船は、この大杉を目印にして運航していたことでしょう。いつしかこの安婆之嶋の大杉は、海と川を守護する神様として人々の信仰を集めていった…と考えられます。
奈良時代の767年、奈良の都から日光へ向けて旅立った勝道上人(しょうどうしょうにん)は、その途中で、この地を訪れました。
ちょうどこの地では、疫病が流行っていました。勝道上人はこの地の大きな杉の木を神籬(ひもろぎ)として祈ります。神籬とは臨時に神様をお迎えする「よりしろ」。それによって奈良から三輪明神(奈良県の三輪の大神神社の神)がこの大杉に飛び移り、病魔を退散せしめた…と伝わっています。
これが『大杉大明神』の由来です。
同時代に、別当(べっとう)として安穏寺(あんのんじ)が開かれました。別当とは、神仏習合する前の日本において、神社を管理するためのお寺。現在でも安穏寺は、大杉神社の隣で社殿群を見守るかのように建っています。
「不思議な縁で奈良とも結びついて、立派な神社やお寺が建てられたんですね…!」
そう、大杉神社は「夢むすび大明神」。夢や縁を結んでくれる神社として有名なのです。

同時に、良い縁だけでなくて、悪い縁、つまり悪縁を断ち切ってくれる神社としても有名です。鳥居の横には「悪縁切堂」が建てられていました。

情報化が進んだ現代社会では、SNSなどで情報を容易に集められるがために、ストーカーやハラスメント、誹謗中傷などの「悪縁」のトラブルが後を絶ちませんよね。大杉神社では、土器(かわらけ)を叩き割ったり、人形(ひとがた)を燃やしたりして、「悪縁切り」を祈願できます。もし、悪縁に悩まれている方がいらっしゃいましたら、一度、参拝してみてはいかがでしょうか?
絢爛豪華な社殿群
…では、とても立派な鳥居をくぐって、境内に入ってみましょう。

本殿は、ため息が出るほどの絢爛豪華なつくり。輝いています!

…おや、本殿の横に、案内板があります。この案内板には、歴史上の有名人と大杉神社・安穏寺との深い関係が記されていました。
江戸時代の初期に活躍した『天海大僧正』です。彼は僧侶でありつつ、徳川家康、秀忠、家光の三代にわたって仕えた人。その生涯には謎が多く、「本能寺の変」の後に討ち取られた明智光秀が正体では…という説も根強い。
案内板によると、その天海は関東地方で大干ばつが起こった際に、霞ヶ浦に小舟を浮かべて龍神(大杉大神)を勧請(かんじょう)して、見事に雨を降らせた…とのことです。勧請とは、神仏の来臨を請うこと。その縁もあり、後に天海は上野寛永寺や日光輪王寺の住職とともに、安穏寺の住職をも兼務しています。風水に明るい彼は、江戸から見て北東の大杉神社を「鬼門の守護社」として定めた。そのために、関東各地から広く多くの参詣者がやってきた…とのことです。
なお、案内板の文章の最後には、衝撃的な説が紹介されていました。そのまま引用します。

『天海大僧正は明智光秀とともに本能寺の変より先に稲敷市江戸崎の不動院に身を隠した織田信長であったと伝えられている。天海大僧正は寛政20年(1643)に入寂。一般にはこのとき数え年108歳であったといわれる。信長は天文三年(1534)に生を受けているので、仮に信長が天海であったとすると満109歳、数え110歳であったことになり、他の明智光秀説などと比べると信憑性が高い。』
天海=織田信長説…!? その発想はありませんでした。大杉神社は、歴史のミステリーへのロマンもかきたててくれる神社でもあるのです。
ご利益にあふれるスポットばかり
本殿の周りにも、見逃せないスポットがこれでもかというくらい並んでいました。いずれもご利益(ごりやく)にあふれるものばかり。そのうちのいくつかに絞って紹介しましょう。
例えば、金運上昇を願う人のために設けられた『吊るし賽銭箱』!

こんなに立派な賽銭箱が吊るされているのは初めて見ました。一斗二升五合(約22.5リットル)の容量の大きな升(ます)。江戸時代の人は、商売繁盛としてこの容量を量る升を「宝来升(ほうらいます)」と呼んだそうです。
百円玉や五百円玉を、この上方に浮かぶそれぞれの升に投げ入れます。その後に大国神社(注:大杉神社の境内に大国神社があります)に進んで参拝すると、金運上昇のご利益がある…とのこと。
他にも『撫桃』(なでもも)がありました。

桃は「桃太郎」のおとぎ話にもあるように、悪疫や鬼を退散させる効果があるそうです。大杉神社でも、儀式の多くに桃が使われている。そう言えば、絵馬が並んだ通路にも桃が吊るされていました。

桃の形をした石の「撫桃」を撫でることで、厄難が解消される…と言われています。私も試しに撫でてみましたが、つるっつるで触り心地が良かった。何だかご利益を分けていただいた気が…。
本殿のすぐ裏のあたりには、御神木の一つである『三郎杉』が祀られていました。

かつて「あんばさま」と呼ばれて崇敬を集めていた巨木「太郎杉」は、1778年に消失してしまいました。現在の御神木は、樹高40メートルの「次郎杉」と、樹高28メートルの「三郎杉」です。
「吊るし賽銭箱、撫桃、三郎杉…。何だか見どころが多くて楽しい神社ですね! ただ、すみません、ちょっとお手洗いに行きたいのですが…」
そんな方のために、とても豪華でユニークなお手洗いが設けられています。

…このお手洗いも、ぜひ体感したほうが良い。あえて詳しくは紹介しませんが、きっと、忘れられないひとときを過ごすことができると思います。
なお、参拝の際にお腹が空いたら、神社のすぐ近くのお店で「赤そば」がいただけます。

梅の風味がほのかに香り、とても美味しいおそばでした。
古代から行き交う船や人々を照らし、夢や縁を結び、今も光り輝き続ける大杉神社…。厄除け、八方除け、星除けなどにもご利益があるそうです。「あんば日光」という異名を持つこの神社にて、ぜひ、その輝きを体験してみてくださいね!
大杉神社
〒300-0621 茨城県稲敷市阿波958
◆公共交通機関:最寄り駅は、JR成田線の「下総神崎駅(しもうさこうざきえき)」(千葉県)です。そこからタクシーを使って、約15分で着けます。
また、土日には下総神崎駅から大杉神社へ直通の「シャトルバス」も運行されているようです。大杉神社の駐車場の近くにシャトルバスのバス停がありますので、そこに着くことができます。ただし、一日数便で、発着時間が限られておりますので、ご確認の上、ご乗車ください。
◆自動車:最寄りインターは、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「稲敷東インター」です。インターを出て右折し、竜ケ崎潮来線を潮来方面(東)に向かって右折、幸田の交差点を左折し、国道125号を北の方面に向かうと、鳥居が見えてきます。神社までは約4キロです。
ひとつ西隣の「稲敷インター」から降りた場合には、江戸崎の市街地方面に向かって東に向かい、国道125号を右折します。
もし潮来方面から行く場合には、国道51号を北田の交差点で右折して国道125号を通り、幸田の交差点を右折すれば着きます。
駐車場には、合わせて200台ほど駐車することができます。




