争いが絶えない世の中、改めて注目したい日本の歴史的人物がいます。賀川豊彦と聞いて、ピンとくる人は少ないかもしれません。
私たちが今身近に使っている生協、それを始めたのが賀川豊彦です。賀川豊彦は、多くの社会運動に携わり、その一生をかけて、平和、友愛、互助の為に力を尽くしました。
ノーベル平和賞候補に4度も推薦され、米国などでは「日本のガンジー」として知られています。
そんな賀川豊彦は鳴門と深い関わりを持ちます。本記事では、賀川豊彦という人物について改めてご紹介します。
賀川豊彦はなぜすごい?
賀川豊彦は幼い頃から多くの苦労をした人でした。両親を4歳で亡くし、病を何度も負い、病気で死にかけたこともありました。
賀川豊彦は学生の頃、徳島県にある教会で英語や聖書をキリスト教宣教師から学び、クリスチャンになりました。徳島中学4年の時でした。
その後、多くの試練を乗り越え、神戸のスラム街へ移り住むことに。それが、賀川豊彦が社会のために活動を始める最初の一歩だったのです。
それからというもの、賀川豊彦は、スラム街で貧しい人や病にある人の救済活動を行ったり、貧困解決のために生活を助け合う消費組合(今の生協コープこうべ)を創設、労働運動や農民運動にも励みました。
そのほかにも、関東大震災の救援活動や、戦後に国際平和協会も設立しました。
戦後、占領軍総司令官だったマッカーサーが真っ先に意見を求めた人物も賀川豊彦でした。
全てがうまく行ったわけではありませんが、賀川豊彦の活動によって、都市スラムの状況は改善されました。貧しい人々、労働者、農民、女性等の権利は拡大されました。賀川豊彦の平和思想は世界的にも影響を及ぼし、各地に招かれました。
さらに、賀川豊彦は著者でもあり、300点以上もの書籍を残しています。彼の自伝的小説、『死線を越えて』はベストセラーになりました。
鳴門市の賀川豊彦記念館

賀川豊彦は、両親を亡くしたあと、徳島県にある父方の実家に引き取られました。学生時代を徳島県で過ごしました。
鳴門市には、賀川豊彦記念館が今でも存在します。NPO法人やボランティアも携わりながら、運営を続けています。
賀川豊彦記念館はドイツ館のすぐ隣にあり、ドイツ館と併せてチケットを購入することができます。
館内は3つの展示室と一つの会議室に分かれています。2階建のそれぞれの階には、賀川豊彦の生い立ち、関わった人々、馴染みのある土地、書籍や彼が力を注いだ社会運動の記録など、数多くの資料を見ることができます。
それぞれの階は以下のように整えられています。
賀川豊彦記念館の紹介

- 1階第1展示室では、賀川豊彦の生い立ちと徳島県での生活や人々との関わりについて展示されています。
- 1階第2展示室は、賀川豊彦の社会活動や妻であるハル婦人を主に説明しています。
- 2階第3展示室には、賀川豊彦が使用した私物や書籍が残されてあります。
- 大会議室は特別な講演や会議の時に使われ、80名まで収容可能です。(貸し出しも可能、要予約)
小さな資料館ですが、賀川豊彦の人生や戦前戦後の社会の様子についても大変勉強になる場所です。
鳴門市賀川豊彦資料館
〒779-0225 徳島県鳴門市大麻町桧字東山田50-2
鳴門市賀川豊彦記念館
T E L:088-689-5050
開館時間:午前9:30 ~午後5:00(入館は午後4:30まで)
休 館 日:第4月曜日、年末12月28日~12月31日
入 館 料
賀川豊彦記念館:大人 200円、小中学生 100円
共通券(ドイツ館・賀川豊彦記念館)大人 500円、小中学生 150円
賀川豊彦について学べる場所
国内には、賀川豊彦について学べる展示や資料館が5つあります。一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
- 賀川豊彦記念松沢資料館(東京都世田谷区): 自宅跡にあり、もっとも多くの資料を収蔵
- 本所賀川記念館(東京都墨田区): 関東大震災後の救済事業の地
- 神戸賀川記念館(兵庫県神戸市): 若き日の活動拠点
- 協同学苑史料館(兵庫県三木市): 協同組合活動の資料
- 鳴門市賀川豊彦記念館(徳島県鳴門市): 生誕地にある施設




