
大型ショッピングモールが立ち並び、現在進行系で目覚ましい発展を遂げている海老名。しかしその賑わいの足元には、3万年前から絶えず続いてきた人々の営みが眠っています。街のルーツを辿ると、なぜこの町が選ばれ続けてきたのかが見えてきます。
そんな海老名の歴史と地域の記憶を今に伝えているのが、「海老名市温故館」です。建物自体も旧海老名村役場を移築した歴史的建造物で、令和5年(2023)には国登録有形文化財に登録されました。
温故館の歩みは、大正10(1921)年に設置された「遺物陳列館」から始まります。相模国分寺跡が国指定史跡となったことを契機に、出土遺物を保管・展示する施設として整備されました。関東大震災による倒壊、再建、移転を経て、現在の場所で地域の歴史を守り続けています。
館内は2階建てとなっており、1階では石器や土器、国分寺の瓦などの考古・歴史資料を、2階では生活用具や農耕具、養蚕具といった民俗資料を展示しています。古代から近代までの海老名の歴史の流れを、一つの建物の中でたどることができます。
本記事では、前半で旧石器時代から古墳時代までの考古資料を中心に、海老名の原始・古代の姿を紐解いていきます。後半では、奈良時代の国分寺建立以降の歴史や民俗資料に目を向け、地域の暮らしと文化の変遷をご紹介します。
旧石器時代: 約3万年前の人々の痕跡


海老名市域では、約3万〜2万8千年前から人が暮らしていたとみられています。現在の相鉄線かしわ台駅西北側の台地付近で発見された「柏ケ谷長ヲサ遺跡」では、関東ローム層から13の文化層が確認され、約6000点に及ぶ石器が出土しました。
展示ケースには、ナイフ形石器や尖頭器、剥片、石斧などが並んでいます。石の質感や刃部の加工をじっくり観察すると、狩猟を中心とした生活の様子が浮かび上がってきます。
縄文時代 ― 環状集落の豊かな暮らし


市域の東側に広がる丘や台地には、縄文時代の遺跡が多く残っています。中でも「杉久保遺跡」は、中期から後期にかけて続いた大規模集落跡です。竪穴住居跡が円を描くように並び、中央には土壙墓(どこうぼ)と呼ばれる、穴を掘って埋葬した墓が多く発見されました。
展示されている土器は力強い縄目文様が特徴的で、暮らしの道具でありながら、その形や模様には素朴な美しさが感じられます。
弥生時代 ― 祈りと集落の形成

縄文時代晩期後半以降、一時的に人の姿が見られなくなった市域に、再び人々が暮らし始めるのが弥生時代中期です。
現在の富士フイルムビジネスイノベーション海老名事業所(旧富士ゼロックス)付近一帯の「本郷遺跡」では、台地上に集落を囲むように掘られた、全長約280メートルの溝(環濠・かんごう)が見つかっています。
東側には竪穴住居群、西側には方形周溝墓群が広がっていました。ここで出土した土器棺や小銅鐸などが館内に展示されています。

古墳時代 ― 地域の有力者の存在
3世紀後半から築かれた「秋葉山古墳群」では、前方後円墳の形の変遷や、水銀朱(すいぎんしゅ)と呼ばれる赤い顔料を使った祭祀の痕跡を見ることができます。
第1号墳〜第3号墳「前方後円墳」、第4号墳「前方後方墳」、第5号墳は「方墳」です。第6号墳については、まだ詳しい調査が行われておらず、墳形は分かっていません。なお、第1号墳から第5号墳までは国指定史跡となっています。


古墳時代中期前半には古墳の築造は減りますが、中期後半になると「上浜田古墳群」などで円墳等が築かれるようになります。
展示では、「秋葉山古墳群」から出土した高杯や壺類のほか、上浜田古墳群から見つかった勾玉・管玉・小玉などを見ることができます。

旧石器時代から古墳時代までのまとめ
旧石器時代の石器から始まり、縄文の集落、弥生の環濠、そして古墳へと続く展示からは、海老名という土地に長い時間をかけて人々の営みが積み重ねられてきた歩みを物語っています。
温故館を訪れることは、過去を知るだけでなく、この土地の価値を再発見する入り口にもなるはずです。普段何気なく通り過ぎていた風景も、歴史を知ることで、少し違って見えてくるのではないでしょうか。
後編では、奈良時代の国分寺建立以降の歴史に目を向け、政治や宗教の拠点として発展していく海老名の姿、そして中世・近世から民俗へと続く暮らしの変遷をご紹介します。
海老名市立鄉土資料館「海老名市温故館」
住所:神奈川県海老名市国分南1-6-36
電話番号:046-233-4028
開館時間:9:00〜17:15 (最終入館は16:45)
入館料:無料
アクセス:
電車 小田急小田原線、相鉄線海老名駅より徒歩10分
バス 海老名駅東口よりコミュニテイバス国分ルート「相模国分寺跡」下車すぐ
車 圏央道海老名ICより車で約10分




