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もの・こと  |    2024.09.02

いいぜ!飯山!!奥信濃の文化とテロワールを巡る旅【テロワール編】

「水尾」醸造元 長野県飯山市・田中屋酒造店 田中匠専務

2024年5月長野県酒造組合が浅草ビューホテルで開催した銘酒イベント YOMOYAMA NAGANO で出会った堂々たるアフロヘア・田中専務さんとの出会いからこの記事の全てが始まりました。

「米造りから始まる酒造りの過程を一日で見せて酒も飲ませてくれる酒蔵ないかな~と思っても、車で行けば誰かが犠牲になって困るしね~」と言うボヤキに

「大丈夫っ!ウチの蔵は北陸新幹線の駅から徒歩15分ですよ!」「マジですか?!」

そんな便利な酒蔵さんがあるなんて...と、それでも記事にするなら

飯山初めてだし午後から行くのもったいない!

と、北陸新幹線08時16分長野県飯山駅着のはくたか号で到着後、午前中の3時間で飯山駅周辺の徒歩圏のお楽しみを午前中に堪能(詳しくは文化編を是非ご覧ください)し、ツアーの行われる午後1時過ぎに田中酒造店へと向かいます。

上のGoogle MapsはJR飯山駅からの徒歩経路。文化編の「高橋まゆみ人形館」からは下の道順です。

1.奥信濃「水尾」のテロワールをご案内いただくのはこの方

今回、「水尾」の田中屋酒造店にお邪魔したのは、蔵だけでなく酒米の産地や水源地が見学でき、地元食材とお酒のペアリングなど、一日の中で楽しませてくれる多彩なツアーを自ら実施していると田中匠専務から聞いたから。

酒米の栽培地・木島平村の水田を背景に。「水尾」醸造元 田中屋酒造店 田中隆太社長(右)、酒蔵スタッフの佐伯さん(左)

取材当日、ご案内いただいたのは田中(パパ)隆太社長。息子さんの匠(アフロ)専務は韓国出張のため不在でしたが、息子さんが爽やかな人なら、お父さんは極めて熱い人。

この日は、ちょうど時間の都合がよかった午後スタートの「バックグラウンドツアー木島平コース」に参加しました。

2.日本酒における「テロワール」を考えてみる

前・独立行政法人酒類総合研究所理事長の後藤奈美氏は、ビジネス誌「週刊ダイヤモンド」出版元のダイヤモンド社のwebサイト・ダイヤモンドオンラインで次のように語っている。

同じ醸造酒でも日本酒とワインの決定的な違いのひとつに、テロワールの捉え方があると思います。ワインの場合、原料であるブドウは保存が利きにくく、輸送も困難ですから、ワインの生産地は、必然的にブドウの栽培地になります。地域によって適したブドウの品種が異なり、土壌や気象の影響も受けますので、ワインにはその地域のブドウの特徴が強く表れる。これがワインのテロワールです。

一方、日本酒は、原料である米は貯蔵や輸送が容易で、銘醸地は必ずしも米作地帯ではありません。それから日本酒の品質や味わいを決めているのは、米や水に加えて醸造技術の影響が大きい。他にも『高知は辛口』『佐賀は甘口』傾向にあるなど、その地域の人の嗜好(しこう)や食文化の関与が大きいのが日本酒の特徴です。

ダイヤモンド・オンライン 日本酒とワインで違う「テロワール」

日本酒の場合は、ワインほどには産地が味の大きな要素ではない。これに対し、隆太社長の考えはというと

(隆太社長)ワインは葡萄が8割。日本酒は水が2割5分、米が2割5分、造り方とポリシーが5割。私はそう思っています。

お酒の出来について、ワインのような土地柄の要素は高くないのに、原料はほぼ飯山の地元産。その意図を尋ねてみました。

3.飯山周辺の地元産にこだわる理由

ーー「水が2割5分、米が2割5分」で、合計5割がお酒の出来を左右するとおっしゃいましたが、その要素に対して

 ■水は、蔵から15kmの距離にある水尾山の湧水
 ■米は、長野県産の酒造好適米を100%使用し、その約95%が蔵から5km圏内で栽培される契約米

と、蔵から至近距離の地元産にこだわるのは、どういった理由からですか?

(隆太社長)に関しては、30年ほど前に市内の各種工事の影響で酒蔵の井戸が枯れてしまったんです。その時に、酒造りにいい水を探して複数の候補から探し当てたのが水尾山の水。今は1回に1.5tの水を汲んで、年間150回くらい蔵と水尾山を往復しますよ。

に関しては、飯山のコメ農家さんはとても優秀な方が多い。食米の「米食味コンクール国際大会」に毎年4~6名が入賞する実績があり、酒米についても高いレベルで酒蔵の要望に応えてくれる。それが、酒米の90%以上を蔵から5km圏内の農家さんにお世話になるという結果に現れているんです。

4.まずは酒蔵見学から

テロワールの話が先になってしまいましたが、木島平コースのツアーの流れは
(1)酒蔵見学(お酒も試飲します)
(2)酒蔵から車で木島平村「金紋錦」水田へ行き、現地で乾杯
(3)千曲川右岸を北上。大関橋を渡って道の駅「花の駅 千曲川」で、お酒と地元食材のペアリング
(4)酒蔵へ戻り、解散
といった具合。

スタートはツアーの流れの説明と日本酒醸造の紹介ビデオ視聴で30分。すぐに蔵見学に移り、どれが何をする器材か説明を受けながら、ピンとこない場合は併行してタブレットで実際に酒造りが稼働していることも確かめられるので、初めての方にも分かりやすい。

「貯蔵タンクに体ごと浸かったら幸せだろうな~」とか、麹室をみて「私の塩麹用に少し分けてくれないかな~」とか、いろいろな妄想が巡っていると

(隆太社長)さぁ、お酒をタンクから瓶詰しますよ~。無濾過原酒ですから美味しいですよ。お持ち帰りいただきますんで、楽しみにしててください。

タンクの蛇口は「のみ」という部品を取り付けるそうで、従業員の方に「コツがあります」と教えてもらったものの、こぼしてはいけないと慎重になりすぎて、やっとの思いで受け口の手桶に流し込むことができました。

この時に漂った香りの良さったら、

貯蔵タンクに体ごと浸からなくても、この香りで十分かもしれない

と思えるくらい幸せでした。

5.木島平の水田前で乾杯と、道の駅でのお酒と地元食材のペアリング

車でまず案内されたのが、酒米「金紋錦」を契約栽培してもらっている木島平の水田へ。

「さ、飲みましょう」「そうですね」

この日は午後から曇天で、モノクロの墨絵に近い風景だったが、季節が変われば緑の稲、実りがくれば黄金色の穂と、田んぼの彩りが移り変わるのにつれ、写真奥の山々の色合いも変わってくるのだろう。

水田から千曲川を北上し、やってきたのは道の駅「花の駅 千曲川」。アウトドアショップの「モンベル」とジョイントしている新しい施設だ。その一角を借り切って

あちらの山の奥に「水尾山」があるのだなと確認しながら、お酒3種類をテイスティング。隆太社長
のお話もたっぷり聞けてよかった。

地元の食材とお酒を合わせ、目で見て口で味わって「水尾」を生み出すテロワールをしっかりいただき、酒蔵へと戻りました。

6.まだ飲み足りない方には

当然、酒蔵さんですからお酒は売るほど揃っています。私は、いつもなら緑のラベルの特別純米酒に目がいくのですが、

春の酒蔵開放(蔵開き)の時に出した無濾過生原酒があったので、それを買い求めて見学の際に瓶詰したボトルと一緒に大切に持って帰りました。

【オマケ】市内には、まだまだお楽しみがある。

文化編で午前中に回ったところをご紹介したが、その後に平成29年に国の登録有形文化財に登録された昭和7年(1932年)建設の「飯山復活教会」や、JR飯山駅近くの「善光寺旧仁王像」に巡り合ったり、うなぎや笹もちなど、美味しいものにも出会いました。徒歩圏にこれだけ楽しいものが揃っているとは

いやいや、飯山、恐るべし!

(画像協力:田中屋酒造店)

「水尾」田中屋酒造店に関する情報

URL:https://www.mizuo.co.jp/
所在地: 〒389-2253 長野県飯山市大字飯山2227
営業時間:月〜金曜9:00~17:30、土曜9:30〜17:00(昼休み12:00~13:15)
定休日:日・祝日、年末年始、その他臨時休業あり
電話番号:0269-62-2057
電車:北陸新幹線/JR飯山線「飯山駅」から徒歩約15分、タクシー約5分
自家用車:上信越道「豊田飯山IC」から約12分 駐車場12台あり

酒蔵体験ツアー 

6月~9月 奥信濃の夏を水尾と味わう(詳細・日程はこちらから) 
 ①バックグラウンドツアー野沢温泉コース(5時間15分)20000円/1名税込/最大催行7名
 ②バックグラウンドツアー木島平コース(3時間10分)15000円/1名税込/最大催行7名
 ③酒蔵見学&利き酒ツアー(2時間)5000円/1名税込/最大催行14名

※10月以降の予定は
 ■野沢温泉コースは9月で終了
 ■木島平コースは雪が積もり次第、原産地雪上でのテイスティングに変更
 ■11月より蔵人体験コースを実施予定

「水尾」は、銘酒イベント「YOMOYAMA NAGANO」に参加します。

9月26日(木) ホテルメトロポリタン長野で行われる長野県酒造組合銘酒イベントに参加します。
詳しくは、以下の記事中のリンクよりご確認ください。

創業1867年の日本酒酒蔵を事業承継し、酒造り2期目を振り返って。荻原慎司さん|長野県上田市(山三酒造蔵元)


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この記事を書いた人

Kunie

20代で首都圏エリアの情報誌のライターをしていました。その後、一般企業に転職。東京から長野へ移住、単身赴任、親の介護を経て子供の独立を機に退職。地元誌のインタビュー記事を担当させていただいたご縁から、20代から長いトンネルを経て、またライターで働いてみようと日々奮闘中です。

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