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アート  |    2023.09.02

奄美生まれのフォトグラファー・藤井音凛さんが3世代で織りなすハンドメイド雑貨3sedai

「3sedai(さんせだい)」は、フォトグラファーの藤井音凛(ふじい おりん)さんが2023年3月に祖母、母と一緒に立ち上げたハンドメイド雑貨の名称だ。

3sedaiをイメージし描かれたイラスト(イラスト提供:藤井音凛さん)

3sedaiは「編み物が好きで得意な祖母と母の生きがいにつながれば」という思いで始まった。祖母、母、そして藤井さんの“3世代”でものづくりから販売をしている。

最も大切にしているのは祖母と母の「編みたい」という気持ち。

今回は、フォトグラファーとしての活動の傍ら、3sedaiを立ち上げた経緯や、そもそも「藤井音凛さんとはどんな人物なのか」彼女自身について知るべく、本人に話を伺った。

藤井音凛さんについて

カメラとの出会いは、島シックにならないため

上京前に「島シックにならないように」と藤井さんが撮影した奄美の風景(写真提供:藤井音凛さん)
上京前に「島シックにならないように」と藤井さんが撮影した奄美の風景(写真提供:藤井音凛さん)
上京前に「島シックにならないように」と藤井さんが撮影した奄美の風景(写真提供:藤井音凛さん)

藤井さんは1999年、鹿児島・奄美大島生まれ。奄美高等学校の衛生看護科を卒業後、助産師を目指し、神奈川の専門学校へ進学するため、上京した。

奄美を離れる前に「島シックにならないように」と購入したカメラがきっかけとなり、現在、神奈川を拠点に全国を飛び回るフォトグラファーとして活動している。Twitterのフォロワー数は2万人を超え、彼女の独特な世界観に惹かれるファンが多い。

「奄美に住んでいた頃は、育った環境や見ていた景色が当たり前過ぎて、『早く卒業して上京したい』とばかり思っていました。でも、いざ進路が決まり、『この景色が当たり前じゃなくなるんだ』と徐々に実感が湧き始めた頃、上京後の自分が島シックにならないようにカメラを購入し、奄美の風景をたくさん撮り始めました。」

と、その後の将来に繋がる原点、まさに「藤井さんのカメラとの出会い」を語ってくれた。

風景に人物が加わることで写真に命が宿る

上京後、撮り溜めた奄美の写真を添えてSNSに投稿していた藤井さんの日記(写真提供:藤井音凛さん)
上京後、撮り溜めた奄美の写真を添えてSNSに投稿していた藤井さんの日記(写真提供:藤井音凛さん)
上京後、撮り溜めた奄美の写真を添えてSNSに投稿していた藤井さんの日記(写真提供:藤井音凛さん)

関東に住み始めてから、上京前に撮り溜めていた奄美の風景写真を添えて日記を書き、それをSNSに投稿。すると、しだいにフォロワーが増え、カメラが趣味の人たちとの繋がりもできた。

その縁で、ある撮影会に参加。そこには被写体となるモデルも参加しており、他のカメラマンたちが人物を含めた撮影をしている姿に衝撃を受けた。

これまで風景のみを撮影してきた藤井さんは、このとき「人物が加わることで『生きた』写真になる」「風景に命が宿る」と感動した。

人物を撮り始めた頃の写真(写真提供:藤井音凛さん)
人物を撮り始めた頃の写真(写真提供:藤井音凛さん)

それをきっかけに、「人によってそれぞれの人生があり、どんな人にもストーリーがある」と感じ、「写真を物語の1ページと捉え、その物語の主人公になってもらいたい」という思いから、現在の藤井さんのコンセプト「人生と心に寄り添う」を軸に、オーダーメイドの撮影を行なっている。

「2人の生きがいややりがいに繋がってほしい」と始めた3sedai

当初の屋号は「おばあちゃんと孫」だった

藤井さんの祖母(写真提供:藤井音凛さん)

3sedaiの始まりは、2、3年前に遡る。長年、奄美に住み続けた祖母が、親戚のいる名古屋へ引っ越した。奄美とは違う都会での新生活は慣れないことが多く、ご近所との繋がりも薄い。

奄美に住んでいた頃は得意な編み物で近所の人を喜ばせ、大島紬の織子さんから廃棄する糸やハギレを譲り受け、いろんなものを作ってはそれが自分自身の生きがいにもなっていた。

活動的で人との関わりが好きだった祖母は外出の機会が減り、すっかり抜け殻状態。その姿を見た藤井さんは「おばあちゃんの得意を活かしたい」と、2人で「おばあちゃんと孫」という名でものづくりと販売を提案。

藤井さんの祖母が編んでいる姿(写真提供:藤井音凛さん)

藤井さんの感性で、作るものや使う糸、デザインなどを祖母に提案し、出来上がったものに藤井さんがストーリーを添える。そうやって着々と販売の準備を進めてきた。

母の難病が発覚

藤井さんの母(写真提供:藤井音凛さん)

2021年5月、母の「血管肉腫」が発覚した。それまでいつも笑顔で元気だった母は一人で外出することもできなくなり、「働きたい」という強い思いも叶えられず、家で過ごす毎日。そんな母の唯一の楽しみは祖母と同じ編み物。

「おばあちゃんと孫」で始めていたが、母にも加わってもらい、「2人の生きがいややりがいになってほしい」という思いで、「3sedai」に改名した。

「3sedai」の商品・花栞、花色、彩-aya(写真提供:藤井音凛さん)
「3sedai」の商品・花栞(写真提供:藤井音凛さん)

完成したら藤井さんの元に祖母と母から届く。そうやって今年3月にネット販売を開始。

イベント出店で撮影した親子写真(写真提供:藤井音凛さん)

5月には2つのイベントに出店し、対面での販売。闘病中の母も会場へ車椅子で駆けつけた。

それでも3sedaiを続けていく

藤井さんによる試作品(写真提供:藤井音凛さん)

7月3日、母が亡くなった。だが、これからも祖母と2人で「3sedai」という名でひたすら編み続けていく。藤井さん自身も、祖母や生前の母から教わった編み方を思い出しながら、さまざまな作品に挑戦中だという。

販売は不定期。販売の準備が整うと、藤井さんのSNSで案内がされるというスタイルだ。「いつ販売されるか」「何が出品されるか」という情報を見逃さないように、是非藤井さんのInstagramとTwitterのフォローを。

次回の販売では、母が残してくれた編み物がわずかに残っているということなので、それも購入できるかもしれない。

3sedaiと藤井音凛さんに関する情報

サイト:https://3sedai.stores.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/fujii_orin/
Twitter:https://twitter.com/fujii_orin

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この記事を書いた人

きゃんまり

鹿児島出身、関東在住。広告代理店に勤務し、ライターとしても活動中。取材ありの記事執筆やイベントレポートの作成が得意。一歩鹿児島を出ると、「鹿児島の本当の魅力が知られていない」「鹿児島と無縁の人が多い」と痛感しています。大好きなふるさと鹿児島を一人でも多くの人に知ってもらい、ファンになってもらうために、鹿児島のモノ・コト・ヒトに関する情報をお届けします。

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