「車の街」としても知られる愛知県豊田市は、少し足をのばせば豊かな自然が残る場所。
キャンプ場やアクティビティ施設も多く、四季折々の景色を楽しみながら体を動かせる環境が整っています。
そんな恵まれたフィールドを活かし、「自然」「フィットネス」「観光」を掛け合わせて地域活性に取り組んでいるのが、野外健康運動指導士の青木宏和さん。「遊びながら健康に」をテーマに、さまざまなフィットネスイベントを行っています。
もともとIT業界で働いていた彼がなぜ山へと活動の場を移し、地域活性化に取り組むようになったのか。その背景と想いを青木さんに伺ってきました。
バックグラウンドとなった子ども時代
中学卒業までを豊田市藤岡地区で過ごした青木さん。「外で遊ぶのが当たり前だった」と幼いころを振り返ります。
「とにかく外へ遊びに行っていました。川遊びをしたり、秘密基地を作ったり。山も川もあって、自然に触れるのが当たり前の環境だったんです。
『自然をどう生かしたら、もっとおもしろく遊べるか』そんなことばかり考えていました」

写真:青木さん提供
自転車を持っていなかった青木さんは、どこに行くにも全力ダッシュだったそう。幼いころから自然と運動がペアだったようです。
そんな青木さんですが、わずか15歳で「上京」を考えるようになります。
「3つ上の従兄がいるんですけど、東京の高校に進学したんです。『もっと色々な世界を知りたい』と思ったみたいです。
そんな従兄が帰省してくるたびに会っていたんですけど、なんだかすごく楽しそうで。その姿を見て、僕も上京を決めました」
ほとんどの同級生が地元豊田の高校に進む中、ひとり東京の高校へ進学した青木さん。念願の東京での生活を始めるものの、すぐにホームシックになってしまったそう。
「すごく不安になってしまって、『帰りたいな』って思いました。まあ、夏休みが来るころには慣れましたけどね」
照れたように笑う青木さんは、寮での暮らしも懐かしそうに振り返ります。
「同世代の子たちと一緒に生活したことって、自分の中ではすごく大きかったんです。
ひとりでやることにあまり楽しさを感じないのは、仲間と一緒にチャレンジをして、乗り越えてきた経験があるからだと思います。「人と関わる」という点では、自分の中の原点だったのかもしれません」
当時の友人とは今でも連絡を取り合っているそう。人がつながる場をつくりたいという想いは、この経験から生まれているようです。
上京と留学―価値観・キャリア形成
高校卒業後、大学へ進学した青木さんは「まだ見たことがない世界が見たい」とカナダへ留学。「目的は語学と、もうひとつありました」と話します。
「大学に入学してから、コンピューターに興味を持ったんです。
当時は世の中の仕組みがコンピューターでの制御に変わっていった時代。そんな世の中を見ているうちに、自分もその仕組みを作る側にまわりたいと思うようになりました。
当時はホームページ制作にもすごく興味があって。昔から何か作ることが好きだったので、それがネットの世界でできると知った時に『やりたい!』と(笑)。
カナダに英語を使いながらホームページ作りを学べる学校があることを知り、そこに通うことにしました」
実は幼いころから、父親が使っていたパソコンに親しんでいた青木さん。遊び感覚で触れていたその経験も、コンピューターを学ぶ土台となったそうです。
カナダ留学中にはこんな経験もしたのだとか。
「大学でストリートダンスをしていて、カナダでもたまに踊っていたんです。その時に『子どもに教えてみない?』と声をかけてくれた人がいて。
子どもたちと関わる中で、自分が教えることで人が変わっていく喜びを知りました。目の前でどんどん変わっていく姿を見るのがとても嬉しかったです」
高校時代に知った「人と関わる楽しさ」、留学時代に体験した「教える喜び」。青春時代のひとコマが、今の青木さんにつながっていきます。
SE時代の挫折と人生の転機
その後、大学を卒業した青木さんは念願のSE(システムエンジニア)として就職。今までとは違う規模のシステム作りは、とてもやりがいがあり学びも多かったそうです。
しかしながら、次第に小さな違和感も感じるように。
「僕の仕事って、ある程度設計されたものを形にする仕事だったんです。毎日モニターに向かい合っているけれど、それを使う人のことは知らない。お客さんと話をするのは先輩なので、人と関わっている実感もありませんでした。
下積み時代はそういうものなのかもしれないけれど、『これが誰かの役に立っているのか』と悶々とすることも多かったです」
そんな思いを抱えながら働いていた青木さんは、次第に心身のバランスを崩し、休職という選択をすることとなります。

写真:青木さん提供
「当時は、他の選択肢も見出すことができませんでした。社会から離れてしまった時点で、『自分は必要とされていないんじゃないか』と思うようになってしまったんです」
常に前だけを向いて、まっすぐに突き進んできた青木さんの初めての大きな挫折。そんな中で、支えとなってくれたのが、ランニングコミュニティの仲間でした。
「休職する数年前から、ランニングコミュニティを作っていたんです。働いていない自分にとって、コミュニティ活動をしている時間が唯一人とつながっている時間でした。
仲間との時間が大きな励みになっていきました」

写真:青木さん提供
多種多様な人と知り合う中で、改めて「知らない世界に触れていきたい」と思うようになった青木さん。ここから第2の人生がスタートしていきます。
「休職中、まわりにフリーランスの人たちが増えてきて、会社以外の選択肢があるんじゃないかと思うようになったんです。
当時、インストラクターの仕事をやらせてもらう機会があって『これを仕事にしたら、きっと毎日楽しいだろうな』とも感じていました」
こうして退職を決めた青木さんは、フィットネスクラブのインストラクターとしてフリーランス契約。SEとして働いていた経験も買われ、会社の運営や社内システム関係も任されるようになりました。

写真:青木さん提供
そんな中、新しいフィットネスクラブの立ち上げメンバーに抜擢され、社員として、本格的に携わることに。再びサラリーマンに戻ることに、迷いはなかったのでしょうか?
「やりたいことができれば、フリーランスでも社員でもよかったんです。働き方にはこだわっていませんでした」
そう語る青木さんは、会社の強みでもあるアウトドアフィットネスにも携わるようになり、自然の多い場所を拠点としたプロジェクトも動き始めていました。そんな中、とある疑問が…。
「自分の地元も山間部なのに、なぜ違う場所で活動しているんだろうと思ったんです。地元ではなく、他の場所の活性化に取り組んでいる自分に『これでいいのだろうか』と考えるようになりました。
東日本大震災のときのボランティア活動もきっかけのひとつです。地元じゃない場所にこれだけ関わっているのに、なぜか地元には関心が向かない。それは、自分が地元に関わってこなかったからじゃないかと思ったんです。それから2カ月に1度は帰るようにしていました」
小さな違和感と気づきが、青木さんの行動を少しずつ変えていきます。




