
「技術は誰も盗るものがおらんからね」
現在82歳になる熊野筆の伝統工芸士、香川緑(号は翆皐)さんはそう言って笑顔を見せました。
周囲を山に囲まれた広島県安芸郡熊野町は、全国の筆の8割を生産する筆の町です。この町で筆の生産が始まったのは、江戸時代後期のことでした。そして、現在も熊野町の人口の1割にあたる2,000人ほどが、筆にかかわる仕事に就いています。
香川さんが子どもの頃は、どの家でも筆を作っていたそうです。熊野に生まれ育った香川さんは、なぜ、熊野筆を作り続けてきたのでしょうか。
カチカチという音、毛の焦げる匂い

香川さんが生まれたのは1944年。当時、山に囲まれた熊野町内のほとんどの家では、家族が食べるだけの小さな田畑を耕作しながら、筆づくりをしていました。
「母は昼は農業、夜は筆づくりで忙しくしとったね。母の筆づくりはずっと同じような作業の繰り返し。『あがんの(飽きないの)?』と聞くと、母は『お金になるんじゃけ』と言いました。その頃は今のような仕事も少なかったので、筆づくりに精を出せば、その分だけお金になったんでしょう。近所の八百屋さんで、筆づくりに使う麻糸だとかフノリだとか、そんなものが普通に売られていた、そういう町でした」と香川さんは言います。
近所の家からカチカチと「毛そろえ」の音が響いてくれば、「あ、あの家で筆づくりが始まったな」。焼きごてを当てられた毛が焦げる匂いが漂ってくれば「もうすぐ筆が完成して、売ったお金が入ってくるんだな」。
子どもにも他の家で進められる工程が手に取るようにわかるほど、筆づくりは熊野町の人たちの暮らしのすぐそばにありました。



その頃、家で作られていたのは、今でいう学童筆です。作りやすい廉価な筆は熊野町のそれぞれの家で作り、書家が使う高級な筆は熟練した職人が作る、というように作り分けられていました。
家庭と両立するために始めた筆づくり
ものづくりが好きだった香川さんは洋裁を学び、洋服の仕立てをして収入を得るようになりました。しかし、次第に世の中には既製品が多く出回るようになり、仕立ての仕事は徐々に減っていきます。
結婚や出産を経て35歳になった1980年に、香川さんは職人を募集していた仿古堂(ほうこどう)で、本格的に筆づくりを始めました。入社を決めた理由は、母親から「子どもがいて仕事をするなら筆がいい」とすすめられたことと、筆を作るのなら高級筆で知られる仿古堂の優れた技術を身につけたいと思ったことでした。


当時、筆づくりの下働きの部分を担うのは女性の役割で、筆づくりのすべてを担う職人のほとんどは男性でした。
技術を磨こうと意気込んでいた香川さんでしたが、入社して現場の厳しさに直面します。

「母親の仕事を少し手伝ってはいたけれど、原毛から扱うのは初めてじゃけえね。筆を作る工程は全部で70以上もあるんよ。師匠は『習うより慣れろ』とか『見て覚えろ』という人でね。自分で考えてもわからんし、教えてはもらえんしで、歯がゆい思いをしたよね。
3年くらいは、いつ辞めようかとそればかり考えながら仕事しとったよ。今の若い人たちにその頃の話をすると、『そんな先生だったら私はもう辞めます』って驚かれるね(笑)」(以下、カギカッコは香川さん)

それでも3年ほど経つとおよその流れがわかるようになり、香川さんは筆づくりのおもしろさを感じ始めました。
「父親は商売人だったけど、『技術は誰も盗るものがおらん』とよく言われました。その通りじゃねと思うて、作っとったね」


筆づくりの難しさとおもしろさ
筆の材料は動物の毛です。そのため、一つとして同じものがありません。人の髪の質が一人ひとり違うように、同じヤギの毛であっても個体によって、また、体の部分によって、まったく毛の質が違います。
そのうえ、筆に使う動物の毛は、ヤギ・馬・鹿・イタチ・タヌキ・リスなど、種類もさまざまです。


「自分で納得できるような筆を作れるようになったのは、20年くらい経った頃かねえ。それぞれの毛を濡らして合わせてみんと、どんなふうになるんかわからんの。私らの世界には答えがないんよ。自分が作る筆のことは、自分でやってみて考えるしかない。自分が若い人たちに筆づくりを教えるようになってから、師匠も教えようがなかったんじゃろうねって、理解できたね」
仿古堂の店内にはさまざまな筆が並んでいますが、それだけでなく、書家の注文に応じた筆も作ります。どの毛をどのような割合で配置すれば求められる書き味になるのか、職人は感覚を研ぎ澄ませて目の前の仕事に向かいます。
「一番大事なのは、最初に必要な毛を見極めて組み合わせる『選毛』ね。毛の量を増やしたり減らしたり、洋服の仮縫いのようなことを筆でもやってみるんよ。サンプルを3本くらい作って、書家の先生に出すこともある。
材料の動物の毛は一つとして同じものがないから、繊細な注文どおりに書き味を整えるのは難しいわね。でも、最初から最後まで仕上げた筆を、喜んでもらえるのは嬉しいんよ。『すごくよかった』なんて手紙をもらうと、元気が出る。母親の仕事を見とったときは、同じことばっかりして飽きんのかねえって思っとったけど、自分でやってみたら全然飽きんよね。
お客さんにそんな説明をすると、『筆づくりって大変ね。大事にしないと』って言われるけど、大事に収められても困るんよ。しっかり書いてしっかり買ってください、って言いたいわね(笑)」

伝統工芸士の名誉に恥じぬように

2007年2月25日、香川さんは伝統工芸士に認定されました。女性では3人目です。
「女性で最初の伝統工芸士になった碓井真光さんは、材料の吟味も技術も人間性も、すごかったね。尊敬しとったし目標にもしてきた。だから、碓井さんと同じ伝統工芸士になれたのは、名誉よね。でも周りは別に何も変わらんよ。賞状はたくさんもらったけどね。
それでも、自分がこの名誉に恥じないようにせんといけん、って思うようにはなった。弟子もおるし、しっかりせんといけんねって。人にものを教えるのは、自分自身の成長にもなるんよね」

2025年5月、香川さんは大阪万博の会場で筆づくりを披露しました。
「いろんな人が筆づくりを見に来てくれた。書家の先生たちが筆づくりを体験してくれたし、仿古堂の仲間たちも応援に来てくれて。くたびれたけど、おもしろかったね」
熊野筆を次代に引き継ぐ

「熊野は環境もいいし、住みやすい町よ。よその小学校は3年生から習字をするんじゃけど、熊野では1年生から習字をするし、4年生になると全員が筆づくりを体験する。教育には力を入れとるよね」
熊野町にある「筆の里工房」では、さまざまな筆の展示や筆と文字のかかわりの紹介、伝統工芸士による筆づくりの実演やワークショップなどをおこなっています。修学旅行生や海外からの観光客も多く訪れる、人気のスポットです。

「最近は『筆づくりはカッコいい仕事』とよそからやってくる人もおるよ。私らは子どもの頃からずっと見とるからカッコいいとは思わんけど、そういう目線もいいよね」
香川さんは82歳の今も、第一線で筆を作り続けています。
「若い人に教えるときは『おおスゴイじゃない』って褒めます。何でもかんでもは褒めないけどね。材料が動物の毛でどれも違うから、言ってみれば毎回が初めてのようなもの。職人が自分で考えないといけないんですよ。失敗は成功のもとでしょ?
私もここまで、無我夢中でやってきただけ。筆はやればやるほど奥が深いし、喜びもある。だから今まで続けとるんよね」





