
新千歳空港から自動車で約35分、苫小牧東港周文フェリーターミナルから約25分で着く厚真町。
北海道胆振(いぶり)東部地震からの復興が進み、農業や漁業だけでなく、最近は「ここに住んでみたい」という人の受け入れでも注目されている町です。
この町で観光ガイドをしながら、株式会社おでんという会社を率いているのが近藤一郎さんです。
青森の水産会社で働いたあと北海道に渡り、漁師、町議会議員、町長選への挑戦、大学院での学び直しと、生き方をどんどん変えながら進んできた人。
話を聞いていて何より伝わってくるのは、失敗も笑い話にしてしまう明るさと、目の前の人を大事にする姿勢です。
「観光で一番大事なのは、最後はあの人に会いに行きたいと思えるかどうか」。
そう話す近藤さんに、これまでの道のりと、厚真町でやろうとしていることをじっくり聞きました。
青森から利尻、えりもへ。海を渡り歩いた15年
近藤さんが北海道に来たのは24歳のとき。
地元・青森の八戸で大学を出たあと水産会社に入り、ホテルで働いた時期もありました。
そのあと、期間限定で利尻島で働くことになったのが、人生を大きく動かします。
「そこで、北海道の漁師っていいなと思ったんです」。
もともとサーフィンが好きで海と関わる仕事に惹かれていた近藤さんは、当時交際していた方の地元であるえりも町に移り住みます。
それから15年、毛ガニ漁などをしながら海で働く日々を送りました。
漁師をしながら、近藤さんはえりも町の議員にも立候補して当選し、2期4年務めています。
地域のことに深く関わるうちに、いろいろ思うところが出てきたのでしょう。
「町のやり方を変えたい」と思い立ち、「ノリと勢いで」町長選に出馬。
でも結果は大負け。
普通ならここで気持ちが折れてしまいそうなものですが、近藤さんはめげません。
30代後半になって、「もっとちゃんと勉強しよう」と、社会人として北海道大学の大学院に入り直したのです。
15年続けてきた漁師の暮らしをいったん手放し、札幌での学生生活が始まりました。
ところが卒業のタイミングで、コロナと離婚が重なるという大きな出来事が起こります。
一度は札幌の会社に就職したものの、「大学院で学んだことを活かしたい」という気持ちが消えず、半年で退職。
大学院で地域づくりの勉強をする中で厚真町のことを知る機会が多く、先輩から「厚真町を一緒に盛り上げよう」と誘われたこと、そして学生時代からサーフィンで何度も厚真町に来ていたことが重なって、地域おこし協力隊としてこの町に来ることを決めます。
漁師、議員、大学院生と、その時々で立場をがらりと変えてきた近藤さんにとって、この選択も自然な流れだったのかもしれません。
協力隊1年目で起業。「株式会社おでん」に込めた思い
厚真町に来たばかりのころ、近藤さんは町内の会社で、厚真産のじゃがいも「あつまいも」を広める仕事をしていました。
雪の中で寝かせて甘みを増したじゃがいもをスイーツに加工するなど、町の名物を広める仕事に関わったこの経験が、今の仕事の土台になっています。
その後、協力隊1年目に、厚真町の「ローカルベンチャースクール」を経て、起業型地域おこし協力隊へ移行しました。
大学院で学んだことを実際の町で試す形で立ち上げたのが、今も代表を務める株式会社おでんです。
最初に思い描いたのは、いろんな人がふらっと立ち寄れる居場所をつくること。
「稼ぎ手がおばあちゃんという日がたまにある」というくらい、ゆるやかな場です。
そんな拠点づくり、居場所づくりこそが株式会社おでんの目指すところで、実はこの発想が、のちに始める「居酒屋マナビィ」の原点にもなっています。
掲げる企業パーパスは、「人と人とを、ちょうどよく繋げること」。
飾らないひと言に、近藤さんの哲学が詰まっています。屋号として「近藤商会」の名も掲げ、地域に根ざした店主としても活動しています。
高校2年生のときから続けているサーフィンも近藤さんらしさのひとつで、サーフィンを通じたまちづくりをテーマにした大会の企画・運営にも関わっています。
今は観光ガイドや地域の案内役が仕事の中心です。
地域づくりの相談に乗ってくれる株式会社さとゆめや、他の協力先と一緒に、旅行者の受け入れを行っています。
2025年からは、株式会社雨風太陽が運営する「ポケマルおやこ地方留学」という、親子で地方に滞在する企画も担当するようになりました。

厚真町で自分から考え、動いて学ぶような体験を提供する取り組みです。
「もともと地元が青森なので」と話す近藤さんが今温めているのが、青森から北海道全体をつなぐような旅の企画。
故郷と、今暮らす北海道、その両方を知っているからこそ思い描ける構想です。
大学院で学んだことが今につながる、研究者としての顔
会社を経営する一方で、近藤さんにはもうひとつの顔があります。
大学院では、「まちづくり会社」のような、町と民間が力を合わせる仕組みについて研究し、卒業論文にまとめました。
教育や福祉、産業など、幅広く学んだ2年間は、今も研究の土台になっているそうです。
大学院を出てすぐ、指導してくれた先生から「研究員になってほしい」と声をかけられ、今は北海道大学公共政策学研究センターの研究員も務めています。
今の学生たちとやり取りを続けているほか、大学の授業の一環として、厚真町での自然を守る活動を、1年間かけてしっかり受け入れているそうです。
研究というと机の上だけの話に思われがちですが、近藤さんの場合はそれが厚真町という現場としっかりつながっているのが特徴です。
研究で分かったことを町の仕事に活かし、町で気づいたことをまた研究に持ち帰る。
この行き来こそが、近藤さんの強みになっています。
そのほかにも、意外な顔をもうひとつ。
地元・八戸で30年来の付き合いがある先輩が営む会社で、廃タイヤを燃料に変えるボイラーの北海道での営業とアドバイザーを務めています。
使い終わったタイヤを燃やして熱をつくり、お風呂や暖房に活かすというユニークな技術を、北海道に広める役目です。
研究、観光、そしてこうしたビジネスの相談役と、いくつもの立場を行き来しながら動いているのが、近藤さんならではのスタイルです。
観光と移住の「ちょうどいい距離感」を探る
2026年、近藤さんが力を入れているのが、旅行に来ることと、実際に移住してくることの間にある、ちょうどいいバランスを探ることです。
町の外の人とのやり取りや、つながりづくりを、「文章を書くこと」と結びつけられたら面白いんじゃないか。
田舎での暮らしと観光を、うまくつなげてみたい。
そんな思いから、この挑戦は始まっています。
「移住の話になると、最初は町の良いところばかりが目に入りがちです」と近藤さん。
「札幌は都会だし良さそう」と思っても、実際には雪がすごく大変だったりします。
そういう大変な部分も含めて全部知ってもらったうえで、自分で納得して決めてもらい、「やっぱりこの選択で良かった」と思ってもらえるようにしたい。
移住を考えるきっかけをどうつくるか、そして町のことをより深く知ってもらう仕組みをどうつくるか。
近藤さんはこの二つを、じっくり見極めようとしています。
移住の失敗を防ぐ「ゆとり」という考え方
近藤さんによると、北海道の暮らしに憧れて移住してきても、雪の大変さや土地の空気になじめず、あきらめて帰っていく人は少なくないそうです。

その背景には、町の人と新しく来た人との間に、お互い息をつける「ゆとり」が足りていないことがあると近藤さんは考えます。
都会のせわしなさから離れたくて田舎に来たのに、逆に周りの目が気になって、監視されているように感じてしまう。
そんなギャップを覚える人は、決して珍しくないそうです。
だからこそ、いきなり移住するのではなく、少しずつ段階を踏みながら近づいていき、合わなければやめるという選択肢を持てること。
それが、お互い無理をせず、失敗も防ぐことにつながると近藤さんは話します。
「ただ移住してくる人を増やすだけだと、結局うまくいかないんです」。
近藤さんが自ら開いている「居酒屋マナビィ」も、深く入り込みすぎず、ちょうどいい距離感で町と関われる、そんな「ゆとり」の役割を果たしている場だといえそうです。
「あの人に会いに行く」が観光の最後の決め手
そうした「ゆとり」がなぜ大事なのか。
それは、町の人と実際に顔を合わせられる場所こそが、最後には人の気持ちを動かすからだと近藤さんは考えます。
「観光で一番大事なのは、最後は『あの人に会いに行く』という気持ちになれるかどうか。
そこが一番強く残るし、そこをちゃんと考えて企画できると面白い」。
いきなり移住を目指すのではなく、まずは二つの場所で暮らしてみることから始めてみる。
「夏は暑いから北海道に行こう」というくらい軽い気持ちから、人のつながりが動き出すと面白いと近藤さんは言います。
自然や食べ物のおいしさは北海道ならどこにでもあり、それだけでは他の町との違いになりません。
アイヌ文化のような、その土地にしかない強みを掘り下げて、「ここに来たい」と思わせるきっかけに育てていくこと。
それが今、近藤さんが向き合っている課題です。
こうした考えを実際の形にしているのが、「DUAL STAY ATSUMA」という二地域居住のモニターツアーです。近藤さんはここで滞在コーディネーターも務めています。
筆者自身もこのツアーに参加した一人で、滞在中は近藤さんにいろいろとお世話になりました。
「あの人に会いに行く」という言葉の意味を、身をもって実感した経験でもあります。
掘り起こされたアイヌの歴史と、厚真の新しい可能性

アイヌ文化というと、国立アイヌ民族博物館「ウポポイ」がある白老町や、平取町の二風谷が有名ですが、実は厚真町も、それらに引けを取らないポテンシャルを持つ土地です。
これまでアイヌの歴史では空白とされてきた部分があり、厚真町で見つかった出土品によって、その「ミッシングリンク」ともいえる部分が明らかになりつつあるのだそう。
「知れば知るほど面白いので、アイヌ文化と観光をどうつなげられるか考えています」。
町の良さをよく知っていて、人と人、町と町をつなげられる人が、これからの北海道には必要だと近藤さんは話します。
「海外にはそういう仕事をする人がいますが、日本はまだ少ないですね」。
まさに近藤さん自身が、厚真町でその役割を担おうとしている一人だと言えるかもしれません。
自治会館を舞台にした「居酒屋マナビィ」という仕掛け
得意なことを聞くと、「町の活性化、あとは飲み会の幹事です」と冗談まじりに笑って答える近藤さん。
その言葉どおり、自分から始めているのが「居酒屋マナビィ」です。
厚真町の各地域には「マナビィ」と呼ばれる自治会館があり、昔は集落の人たちが集まって、料理を作って飲みながら語り合う場所でした。
今は自治会の会議くらいにしか使われず、大きな鍋やコンロは眠ったまま。
この会館を使って、地域の人がゆるく集まれる居酒屋を開こう、というのが始まりです。
2025年に始まった「居酒屋マナビィ」。
取材の2日前、豊丘という地域の会館で開かれた回に、実際に足を運んでみました。
会場は老若男女問わず大勢の人でにぎわっていて、一時は座る場所がないほど。
人口4,000人ほどの町にもかかわらず100人以上が集まり、料理もビールも足りなくなるほどの盛り上がりを、この目で見てきました。
地元の食材を使ったおでんは、じっくり味が染み込んでいてとてもおいしく、近藤さんをはじめスタッフの皆さんは休む間もなく忙しそうに動き回っていました。

それでもその慌ただしさの中に、来た人みんなを歓迎するような温かい空気が流れていたのが印象的でした。
開催時間は15時から22時までですが、最初の2時間は地域のお年寄りのための時間と決めていて、一般の人には17時ごろからの来場をお願いしているとのこと。
こうした気配りにも、近藤さんの人柄がよく表れています。
「コロナ禍から何年か経って、普段の生活は戻ってきていますが、あのときから外に出る機会が減り、人が集まる行事がなくなったまま戻っていないと感じています」と近藤さん。
最近は、こうした集まりや飲み会自体が煙たがられがちな空気もありますが、「そこにあえて逆らって、残したいと思ってこの会を企画しました」と話します。
趣旨に賛同してくれた豊丘の自治会の人たちへの感謝も口にしていました。
福祉の面から見ても意味があると近藤さんは考えています。
地域のお年寄りたちが、昔よく集まっていた思い出のある場所で、久しぶりにワイワイと賑やかに過ごすこと。
それが、体や心が弱ってしまうのを防ぐことにつながるはずだと言います。
ただ食べて飲むだけでなく、そこでの出会いや、居酒屋ならではの近い距離感で人と関わることで、また新しい面白いことが生まれてほしい。
そんな期待を込めて準備しているそうです。
おでんのテイクアウトも用意し、「鍋を持ってきてくれても大歓迎です」と笑う近藤さんからは、飾らない人柄がにじみ出ています。
サーフィンから始まった厚真町との縁、そして震災ボランティア
近藤さんが厚真町と関わるようになったきっかけは、観光でも仕事でもなく、サーフィンでした。当時は海のことしか知らず、町のことはまったく分かっていなかったといいます。
大きな転機になったのが、2018年に起きた北海道胆振東部地震です。
地震が起きたとき、近藤さんは札幌にいて、街の明かりが全部消える「ブラックアウト」を経験しました。
そのあと、被害の大きかった安平町へ向かい、3〜4日間、地震の後片付けを手伝うボランティアをしています。
大学院時代、厚真町や安平町で開かれた集まりに参加していたつながりも、このときの行動を後押ししたそうです。
「サーフィンをする人って、海に入ったらすぐ帰る人が多いんですよ」。
かつての自分もそうだったと近藤さんは振り返ります。

だからこそ今は、地域のおいしいものを食べてもらい、そこからきっかけをつくって町のことを知ってもらうことが大事だと感じている。
海のことしか見ていなかった一人のサーファーが、ボランティアをきっかけに町そのものと向き合うようになった経験こそ、近藤さんが今取り組んでいる観光の考え方の原点になっています。
新千歳空港にもフェリーにも近い、厚真という強み
これから厚真町の議会に出るつもりはあるか尋ねると、近藤さんは迷わず「全くありません」と答えます。
行政の助け(公助)だけでは限界が来るからこそ、民間と行政の間に立って、地域の人同士で助け合う(共助)ような立場で町を支えていきたいという考えです。
「新千歳空港もフェリーも近くて、交通がとても便利なので、活動の拠点にするにはぴったりなんです」。
厚真町を拠点にしながら、これまで縁のあった利尻島やえりも町、羅臼町といった道内の各地、そして地元の青森までをつなぎ、お試しで暮らしてみる企画や、二つの場所で暮らす生き方を広げていきたい。
近藤さんはそう、これからの展望を語ってくれました。
漁師、町議会議員、大学院生、そして地域おこし協力隊と、これまで何度も自分の立場をがらりと変えながら道を切り拓いてきた近藤さん。
話を聞いていて印象に残ったのは、町長選で「ノリと勢いで」出馬して大負けした話も、専門分野を聞かれて「飲み会の幹事です」と答える場面も、どちらも笑いながら話してくれたことでした。
うまくいかなかったことも、ちょっと変わった役回りも、隠さずに面白がって話せる人なんだと感じます。
研究者として町づくりの理論を積み重ねながら、観光ガイドとして現場で人と人をつなぎ、地震のボランティアで町そのものと向き合った経験を大事にする。
そのひとつひとつが、器用に選び取ったキャリアというより、その時々で目の前の縁を大事にしてきた結果なのだと思います。
取材の最後、近藤さんが「観光で一番大事なのは、最後はあの人に会いに行きたいと思えるかどうか」と話してくれた言葉が、強く印象に残っています。
厚真町で近藤さんに会いに行くこと自体が、この町を知る最初の一歩になるのかもしれません。
海を渡り、町を渡り歩いてきた近藤さんが次に見ているのは、厚真町を拠点に北海道の内外をつなぐ新しい暮らし方です。
その先に、厚真町で暮らすこと、働くことの魅力が、これからも少しずつ形になっていくのだろうと感じました。




