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スポット  |    2026.04.26

「温故知新のみち」みなとみらいから岩亀横丁・紅葉坂へ【後編】|横浜市西区

掃部山(かもんやま)・井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)公の銅像

横浜市西区の魅力を再発見できる散策ルート「温故知新のみち」。

・新旧市街地をつなぐ産業の温故知新のみち
・新旧東海道の温故知新のみち
・暮らしの温故知新のみち
この3つのルートがあります。

本記事では「新旧市街地をつなぐ産業の温故知新のみち」を歩きながら紹介。
前編では、日本丸〜グランモール公園〜三菱ドック踏切の辺りを散策してきました。
後編では、岩亀横丁〜紅葉坂を歩いてみましょう。

前編はこちら

「温故知新のみち」みなとみらいから岩亀横丁・紅葉坂へ【前編】|横浜市西区

横浜市西区のサイトからは、「温故知新のみち」散策マップをダウンロード可能です。
イラスト付きで見やすいため、できればこれを持って回ることをおすすめします。
横浜市西区 温故知新のみち

では、さっそく続きから歩いていきましょう。

かつては賑やかだった岩亀横丁をゆく

岩亀横丁

岩亀横丁(がんきよこちょう)に入ると、先ほどまで歩いてきたみなとみらいの風景とは一変。
生活感のある街並みが広がり、昔ながらの住宅や商店、新しいマンションなどが軒を連ねています。

現在は落ち着いた住宅街という印象もありますが、かつてはもっと賑やかな街だったそう。
明治時代、今のみなとみらいエリアに設立された横浜船渠会社(後の三菱重工業横浜造船所)は、昭和初期に最盛期を迎えます。
従業員数が18,000人を超えるほどの時代もあり、岩亀横丁には飲食や買い物でたくさんの人が訪れました。
以前は寿司屋、天ぷら屋、パン屋、銭湯、活動写真、寄席などなど……いろいろあったようです。

なお、横浜船渠会社については前編でも触れています。

この角を左に曲がると「掃部山(かもんやま)」です。
時間があれば、寄ってみてください。
(後で、紅葉坂方面から寄ることもできます)

遊具が置かれた広場や池のある和風庭園があり、階段を上った先には井伊直弼の銅像が立つ広場があります。

井伊掃部頭直弼公の銅像

掃部山は、江戸時代まで「不動山」と呼ばれていました。
現在はだいぶ内陸にありますが、その頃は海に面していたそうです。

1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜(現在の桜木町駅)間で開通。
このとき、鉄道開通に携わる外国人技師らの官舎が建てられたのがこの場所でした。
さらに開通後は、蒸気機関車の給水用にここの地下水が利用されます。
そうした背景から、「鉄道山」と呼ばれるようになりました。

その後、旧彦根藩士らがこの一帯を買取り、横浜開港に貢献した井伊直弼の銅像を建立。
「井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)」にちなんで、この場所も「掃部山(かもんやま)」と呼ばれるようになったのです。(掃部頭は役職名)

掃部山のお花見

普段は静かな公園ですが、実は桜の名所でお花見の時期は少し賑やかになります。
また、6月には紫陽花もおすすめです。

広場には「シドモア桜」も植えられています。
ワシントン・ポトマック河畔の桜は有名ですが、その植樹に大きく貢献したのがシドモア女史です。
1991年、その桜が里帰りし、接ぎ木して苗木が育てられました。
その桜は「シドモア桜」と呼ばれ、日米友好のシンボルとして横浜市内を中心に神奈川県内などに植えられています。
掃部山のシドモア桜は、2026年春の時点ではまだ幹が細くてか弱そうですが、大切にしていきたいですね。

さて、岩亀横丁に戻りましょう。

「岩亀横丁」の名称は、かつてこの地に「岩亀楼」の寮があったことに由来します。
岩亀楼は、遊郭の中でも特に豪華で人気の遊女屋でした。
ちなみに、横浜で最初の遊郭があった場所は現在の横浜公園で、公園内(中華街側)には今も岩亀楼の灯籠が保管されています。

岩亀稲荷

遊女たちは、病に倒れるとここの寮で静養していました。
その寮の敷地内にあり、遊女たちに信仰されてきたのが「岩亀稲荷」と呼ばれるお稲荷様です。

もう岩亀楼はなくなりましたが、岩亀稲荷の信仰は現在も受け継がれ、毎年5月に例祭が営まれています。
お稲荷様に願い事をすると、「ご婦人の病いが治る」といわれているそう。

KALDEY

岩亀稲荷のすぐ横にあるのが、「KALDEY(カルディ)」。
どこか懐かしい雰囲気のある喫茶店です。

アップルケーキ:400円

カレーライスやナポリタンといった食事メニューから、ピザトーストやケーキといった軽めのメニューもあり、夜はお酒も飲めます。
岩亀稲荷でお詣りした後に立ち寄ってみるのもよいかもしれません。

cafe Roost

もう1軒、すぐ近くにあっておすすめなのが「cafe Roost(カフェ ルースト)」です。
こちらは比較的新しいカフェ。
おしゃれで落ち着く店内では、お茶だけでなくお食事もでき、お酒も飲めます。

フルーツタルト:600円  コーヒー:500円

見た目にも可愛らしいケーキ。
フルーツの程よい酸味と濃厚なカスタードが絶妙に合って、美味しかったです。
他にもガレットやキッシュなど、気になるメニューがいろいろとあります。

詳しくはこちらの記事もご覧ください。
(この記事と一緒に納品しました「cafe Roost」の記事とのリンクを、よろしくお願いいたします!)

さて、カフェの前を通って岩亀横丁を進むと、信号に。
左手にセブンイレブンがあるので、その角を左に曲がってください。
ちなみにこの辺りには、美味しくておすすめのうどん店や中華料理店などもありますよ。

セブンイレブンを左に曲がった道は戸部通り。
その歩道を注意してみると、所々に「横浜道」のサインが埋め込まれています。

この横浜道は、江戸末期、横浜の開港が決まった際に大慌てで造ったのだとか。
当時は人がほとんどいない辺鄙な漁村だった横浜。
だからこそ開港の場所に選ばれたのですが、東海道から通じる道がないのは困るということで、開港の直前にたった3ヶ月くらいで横浜道を造ったそうです。

そのまま進み、「伊勢山皇大神宮入口」の信号で左に曲がりましょう。
(もう少し先で左に曲がるルートもありますが、個人的にはこちらがおすすめです)

この道は「紅葉坂」。
目の前に「ランドマークタワー」が見えてきます。
左側は「神奈川県立図書館」です。
図書館の角を左に曲がると先ほどの掃部山に出て、その手前には「横浜能楽堂」もあります。

逆に横断歩道で右に曲がると、「伊勢山皇大神宮」です。

『友情』
『希望』

まっすぐ進むと、歩道沿いには銅像があります。

神奈川奉行所跡

その少し先にあるのが、「神奈川奉行所跡」。
1859年(安政6年)に横浜が開港することになり、そのときに設置された幕府の機関です。
開港したばかりの横浜の、司法と行政の事務を取り扱っていました。

金星太陽面経過観測記念碑

さらに進むと、「金星太陽面経過観測記念碑」があります。
これは、日本で初めて、金星が太陽の前を横切る「金星の太陽面通過」の観測が行われたのを記念して作られたものです。

1600年代、「金星の太陽面通過」を観測すると地球と太陽の距離を算出できるかもしれないことがわかってきました。
ただ、滅多に起きない現象のため、その現象が起きるたびに世界中の天文学者がこぞって観測したそうです。
1874年(明治7年)12月9日にアジア地域で観測できることがわかると、日本にも観測隊が派遣されます。
と言っても、明治に入ってすぐの時代。
政府に観測の意義を理解してもらうことも大変で、許可が出るまでにいろいろな苦労があったようです。

それでもなんとか許可がおり、横浜にはメキシコの観測隊がやって来ました。
(ちなみに、アメリカは長崎、フランスは長崎と神戸にて観測)
観測は、ここの野毛山観測所と、山手観測所(現在のフェリス女学院敷地内)の2箇所で行われました。
当日はお天気に恵まれ、観測は大成功だったのだとか。

そして、観測から100年を記念して1974年(昭和49年)に記念碑が作られました。

雑穀カフェCERES

このまま坂を下りていくと、「温故知新のみち」もゴールです。
その前に、坂の下にある「雑穀カフェCERES(ケレス)」でひと休みするのもおすすめです。

くるみと胡麻のフレンチトースト:単品980円、ドリンクセット1180円

温かく穏やかで、ホッとできる雰囲気のカフェ。
美味しいだけでなく、身体のことも考えたメニューが揃っています。
詳しくは、こちらの記事を参考にしてください。

そして、坂を下りると見えてくるのは紅葉橋。
現在、橋の下を通るのは「桜川新道(新横浜通り)」と呼ばれる道路ですが、以前は「桜川(改名前は桜木川)」と呼ばれる川が流れていました。

坂を下りきったこの交差点で、ほぼゴール。
このままもう少し歩くと、スタート地点に着きます。
交差点を右に曲がるとJR桜木町駅なので、ここで散策終了でもよいかもしれません。

いつもと違う目線で街を歩く

みなとみらい〜岩亀横丁〜紅葉坂の散策。
普段何気なく歩いている道も、その歴史を振り返りながら歩くといつもと違った魅力を感じられるのではないでしょうか。

「新旧市街地をつなぐ産業の温故知新の道」は、全体で約3kmほどのルートです。
開港とともに発展した横浜の今と昔を、ぜひ歩きながら感じてみてください。


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この記事を書いた人

もりや 未久

横浜に住んで、気付けば25年近くが経ちました。 私が大好きな横浜の魅力を、少しでも多くの方に伝えていければと思っています。 横浜のちょっとマイナーな部分も紹介していきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

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