
横浜駅やみなとみらい21地区を有する、横浜市西区。
さまざまな観光スポットが集まるエリアですが、「定番には行き飽きたから、もっと違うところにも行ってみたい」という方もいるでしょう。
そんな方に向けて、この記事では西区の魅力を再発見できる「温故知新のみち」を紹介します。
「暮らしの温故知新のみち」で横浜の歴史をたどるお散歩を

「温故知新のみち」とは、横浜市西区が誕生70周年を記念して2014年に作った散策ルートです。
テーマ別に、次の3つのルートがあります。
・新旧市街地をつなぐ産業の温故知新のみち
・新旧東海道の温故知新のみち
・暮らしの温故知新のみち
このなかから、今回は「暮らしの温故知新のみち」を紹介!
主に住宅地の中を散策する、全長約3.6kmのルートです。
京急線日ノ出町駅をスタートし、野毛山公園や霞橋、久保山墓地などを経て、ゴールは相鉄線西横浜駅。
急な坂道や階段が多く「気楽なお散歩」ではないかもしれませんが、「歩いた!」という満足感は得られるかなと思います。
以下の横浜市西区の公式サイトから、イラスト付きの散策マップをダウンロード可能です。
付近の見どころなども書かれているので、ぜひ、これを持って回ってみてください。
西区役所にも置かれています。
(ルート確認のためにも、散策マップを用意して歩かれることをおすすめします)
また、散策ルートの途中には次のようなサインがあります。



総合案内サイン:大きめの看板で、付近の詳しい説明や昔の地図、写真などが紹介されています
スポット解説サイン:ポール状の案内板で、昔の地図や写真と解説があります
飛び石サイン:迷いやすい場所の地面に埋め込まれた、直径10cmほどの目印です
ルートが分かりにくい箇所もあるため、これらのサインを探しながら歩くとよいでしょう。
なお、「新旧市街地をつなぐ産業の温故知新のみち」については、以下の記事で紹介しています。
こちらは比較的歩きやすいルートなので、ぜひチェックしてみてください。
「温故知新のみち」みなとみらいから岩亀横丁・紅葉坂へ【前編】|横浜市西区
「温故知新のみち」みなとみらいから岩亀横丁・紅葉坂へ【後編】|横浜市西区
では、散策に出かけてみましょう!
京急線日ノ出町駅から散策スタート

スタート地点は、京急日ノ出町駅。
駅前には「京浜電気鉄道と湘南電気鉄道が連絡した日ノ出町駅」の総合案内サインが立っています。
人も車も多く、いつでも賑やかな日ノ出町駅前ですが、ここは昔から交通の要衝だったそう。
1859年(安政6年)に横浜が開港。
同じ時期、付近の警備の拠点として、この辺りには「太田陣屋」が設けられました。
近くには「神奈川奉行所」や役宅もあり、まさに行政の中心地。
その名残りから、現在でも公共的施設が多く集まっています。
1930年(昭和5年)には湘南電気鉄道が黄金町〜浦賀間、金沢八景〜湘南逗子間で開通。
横浜方面には以前から京浜電気鉄道が走っていましたが横浜〜黄金町間は未接続だったため、この区間は乗合自動車での接続でした。
しかし、1931年(昭和6年)12月、京浜電気鉄道と湘南電気鉄道がそれぞれ路線を延長させ日ノ出町で接続。
これにより横浜〜浦賀間での直通運転が始まり、駅の周りも再び活気づいていったそうです。
その後、京浜電気鉄道と湘南電気鉄道は合併。
第二次世界大戦中はいろいろありましたが、戦後に「京浜急行電鉄株式会社」となりました。
京急日ノ出町駅
さて、駅前から緑色の高架橋の下を通り、黄金町駅方面へと進んでください。

途中、「東小入口」信号の一つ前の角に、このスポット解説サインが現れます。
ここを右に曲がりましょう。
もし「東小入口」信号まで行ってしまった場合は、引き返してください。
子神社(ねのじんじゃ)

大通りを右に曲がって路地を進み、次の角でまた右折。
左手に現れるこじんまりとした神社が、「子神社(ねのじんじゃ)」です。
御祭神は大国主命。
創建は推古天皇の時代(600年ごろ)と伝わる、歴史ある神社です。
御朱印はここではいただくことができず、徒歩15分ほどの伊勢山皇大神宮でいただけます。
子神社
参拝の後は元の道に戻って住宅街の細い路地を進んでいくと、「東小学校」にたどり着きます。
スポット解説サイン「時を知らせる太鼓の音」があり、そのまま小学校沿いの急な上り坂を行くと「野毛山公園」です。
野毛山公園

公園の入口には「野毛山配水池」のスポット解説サインがあり、隣には階段。
階段を上った先にあるのが「旧野毛山配水池」です。
見るからに歴史を感じる建物ですが、こちらはすでに使われていません。
現在の配水池(水を溜めておく施設)は、同公園内の芝生広場の下にあります。
「野毛山公園」の開園は1926年(大正15年)。
1923年(大正12年)に関東大震災があり、その震災復興事業のひとつとしてここに日本庭園・洋式庭園・和洋折衷庭園が造られたのが始まりです。
その後、1951年(昭和26年)には動物園と遊園地のある「野毛山遊園地」になりました。
ところで、野毛山公園が開園するよりももっと昔、ここにあったのが「野毛山貯水場」。
開港前までは小さな漁村だった横浜ですが、開港によってどんどんと人口が増加します。
水が必要になりますが、付近は埋立地のため井戸を掘っても塩分を含んだ水しか出ず、飲み水の確保が急務となりました。

そこで呼ばれたのが、英国人技師のH.S.パーマー。
必要な資材をイギリスから取り寄せ、水源地の道志川(三井)から野毛山まで、距離にして40km以上の区間に水道管を通す工事が行われたのです。
そして1887年(明治20年)、日本初の近代水道が完成。
野毛山を起点に、市内に水道水が届くようになりました。
このことから、野毛山は「近代水道発祥の地」と言われます。
公園内にはパーマーさんの像もありますよ。
ちなみに、開港時にはまだ設備が十分でなかった横浜港。
その後大掛かりな工事が行われ、1896年(明治29年)に新しい横浜港が完成しました。
このときに計画を立てたのも、実はパーマーさん!
横浜の歴史と深く関わってくれている方なんです。

「暮らしの温故知新のみち」のルートでは、階段の先を右に曲がり旧野毛山配水池沿いを歩きます。
ただ、個人的には左に曲がって公園内を通るルートもおすすめです。

公園内を進むと、右側に出てくるのが「オリンピック記念碑」です。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの際、横浜市内でもサッカー・バレー・バスケットの試合が行われました。
それを記念し設置されたもので、側面には3種目のレリーフがはめ込まれています。

さらに、左側には展望台があります。
横浜の街が一望できるので、ぜひ上ってみてください。
ちなみに、展望台の1階にはトイレもありますよ。
オリンピック記念碑で右に曲がり、配水池沿いを進むと、H.S.ハーパーの胸像が建っています。

配水池の丘の上には、趣きのあるドーム型の建物が見えます。
ただし、配水池の敷地は立ち入り禁止。
柵で囲まれているため、外から覗くだけです。

レトロな風情の構造物に、歴史を感じます。
このまま歩道を進むとつり橋があり、その先が野毛山動物園です。

「野毛山動物園」は、1951年(昭和26年)に開園した入場無料の動物園。
長年市民に愛されてきましたが、2027年1月から2年ほどの間、リニューアル工事のため休園します。
それまでに、チャンスがあればぜひ行ってみてください。

ちなみに、野毛山公園は桜の名所。
タイミングが合えば、桜の下をお散歩できます。
さらに運が良ければ、リスにも会えるかも……。
公園の出口には「野毛山公園のよもやま話」のスポット解説サインがあります。

さて、野毛山公園を抜けたら動物園横の坂道を下ってください。
この道は、全長約40km以上にもなる「水道道(すいどうみち)」。
野毛山配水池から遠く相模原まで続いており、地中には水道管が埋設されています。
明治時代、H.S.パーマーが近代水道を建設。
その際に物資を運ぶためのトロッコを敷いたのですが、水道道はその軌道の跡と重なるそうです。
この水道管は現役で、現在は西谷浄水場から野毛山配水池へと上水が送られているとのこと。
H .S.パーマーが明治時代に残した偉業が、今を生きる私たちにもつながっているのです。
野毛山公園
ところで、この坂道は「尻こすり坂」と呼ばれます。
坂の途中には「水道道と尻こすり坂」の総合案内サイン。
ここはあまりに急な坂道のため、荷車を引く人はお尻で車を押さえながら下ったそう。
そんなことから「尻こすり坂」の名前がつけられました。
ちなみに、この先にはもっと急な坂道が待ってます。
尻こすり坂を上り、散策はまだまだ続きます

急な坂道を下った後は、それ以上に急な坂道を上ります。
初めてこの坂道を見たときは、あまりに急過ぎて笑ってしまったほど。
「暮らしの温故知新のみち」はまだ始まったばかり。
先は長いですが、続きは【霞橋、久保山墓地、西横浜へ。「暮らしの温故知新のみち」を歩く|横浜市西区】で紹介します。
ぜひ【後編】も読んでくださいね。




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