
横浜市西区の散策ルート「温故知新のみち」。
次の3つのルートがあり、街の魅力を再発見できます。
・新旧市街地をつなぐ産業の温故知新のみち
・新旧東海道の温故知新のみち
・暮らしの温故知新のみち
本記事では「暮らしの温故知新のみち」を歩きながら紹介。
【前編】では、京急日ノ出町駅から野毛山公園までを散策しました。
【後編】では、尻こすり坂を上って霞橋などを通り相鉄線西横浜駅までを歩きます。
以下の横浜市西区のサイトからは、「温故知新のみち」散策マップをダウンロード可能です。
地図なしでは道順がわかりにくいため、散策マップを持って歩かれることをおすすめします。
横浜市西区 温故知新のみち
なお、「新旧市街地をつなぐ産業の温故知新のみち」についてはこちらの記事で紹介しています。
こちらもぜひチェックしてみてください。
「温故知新のみち」みなとみらいから岩亀横丁・紅葉坂へ【前編】|横浜市西区
「温故知新のみち」みなとみらいから岩亀横丁・紅葉坂へ【後編】|横浜市西区
では、散策を続けていきましょう!
尻こすり坂を上り、散策再開!

あまりに急で、お尻で荷車を押さえながら下らなくてはいけなかったという「尻こすり坂」。
最大斜度は13°なんだそう。
坂の途中には階段も併設されています。

笑ってしまうほど急な坂道を上りきり、振り返るとこんな風景。
さて、坂を背中にして左に曲がり、進みます。
地面には「飛び石サイン」もあるので、確認してみてください。

左手に「一本松小学校」があり、その先にローソンが見えてきます。
そのまま進むと左に和菓子屋さんがあるので、そこを左に曲がってください。
道なりに進むと、橋が現れます。
霞橋

これが「霞橋」。
橋の手前には総合案内サインもあります。
かつてはこの橋の下に市電が走っていたそうです。
自動車が普及したことで、1969年(昭和44年)に市電は廃止。
案内板には、市電が走っていた頃の貴重な写真が紹介されています。

道路沿いには桜並木。
ちょうど満開の時期に出会えました。

実はこの橋、「かながわの橋 100選」「横浜市認定歴史的建造物」に指定されているそう。
橋にはそんな銘板もあるので、ぜひチェックしてみてください。
霞橋
霞橋を渡り切ったら、右側のこの階段を下ります。
橋の下には公衆トイレもありますよ。

下の道路に出たら、左に進みます(写真の前方方向)。
私は散策マップを見ながら歩いたのですが、この先はマップを見ながらでも少し迷ってしまいました。
道路(藤棚浦舟通り)沿いを行くと、左手に「スーパーマルヤマ」があります。
ここの信号ではなく、道を渡って次の「久保山霊堂入口」信号で左に曲がり、路地を進みましょう。
左側に可愛らしいパン屋さんがあり、その先を右斜め前に進むと階段があるので、そのまま上ってください。
結構急な上り坂です。
余談ですが……このときは道に迷いそうで不安だったためパンを買いそびれてしまいました。
帰ってから、「あそこで買ってみてもよかったかな」と少し後悔。
パン好きさんはぜひチェックしてみてください。
この先の公園で、休憩しながら食べてもいいと思います。
さて、坂を上り切ったら、次は右に曲がり坂を下ります。
その先を左に曲がり進むと、「境之谷公園」です。
境之谷公園

公園の入り口にはスポット解説サイン「境之谷の由来」があります。
それによると、「境之谷」は1935年(昭和10年)に新設された町名。
ただ、ここは野毛や西戸部、久保山の丘から見て境の谷にあることから、「境之谷」と呼ばれるようになったのではとのことでした。
境之谷公園
ここで右に曲がり、公園沿いを歩きます。
自然を感じながら、公園の中の歩道を歩くのもおすすめです。

歩道の先にある右側の階段を上がり、道路に出ます。
一つ目の角で左側を見ると、そこには圧巻の光景が広がっていました。
久保山墓地

電線が多くて「何の写真?」と思われるかもしれませんが、目の前に広がるのは実はお墓なんです。
ここが「久保山墓地」。
久保山墓地の名前は聞いたことがあったのですが、こんなに広い墓地とは全く知りませんでした。
「ひと山丸ごとお墓」といった印象です。
現在の広さは、横浜スタジアムの5倍くらいあるのだとか。
お墓の数は、約2万基だそう。
1874年(明治7年)にできたもので、市営墓地と寺院が管理する墓地とがあります。
もともとは野毛の大聖院、南区の林光寺、中区福富町の常清寺の3寺の土地が主となって作られ、少しずつ拡張したとのこと。
著名人のお墓も多く、三溪園を造った原三溪さんや新田開発をした吉田勘兵衛さんもここで眠っています。

階段を下り急な坂道を下っていくと、立派なお寺がありました。
「円満寺」です。
他にも、この辺りにはお寺がたくさんあります。
進んだ先には、スポット解説サイン「久保山墓地」。
目の前に「茶屋」と書かれた建物があったため、「歩き疲れたし、ここで少し休憩しよう」と思ったのですが、カフェではなくお墓参り用のお花とお線香を揃えているお店でした。
改めて周囲を見渡すと、久保山墓地の前には茶屋が何軒もあります。
ここにお墓を持っている方にとっては当たり前なのかもしれませんが、私にとってはとても不思議な光景でした。
久保山墓地
久保山墓地を後にし、西横浜駅方面に向かいます。
ゴールまでは、あともう少しです。
相鉄線西横浜駅

少し歩くと、「大谷公園」が見えてきました。
先ほどまでとは雰囲気が変わり、再び普通の住宅街です。
交通量も多いため、気をつけて歩いてください。
その先で、「保土ヶ谷道」とぶつかります(横切る形です)。
角にはスポット解説サイン「藤棚地区の商店街」が立っています。
横浜が開港するまで、保土ヶ谷道は東海道の宿場「保土ヶ谷宿」と戸部村を結ぶ唯一の陸路でした(開港時に、急ぎで横浜道が造られました)。
その頃の保土ヶ谷道は、田んぼの中を通るのどかな1本道だったそう。
現在、周囲は活気のある住宅街になっており、昔の面影は全くないようです。

真っ直ぐ進むと、左側に「久保町公園」があります。
そのまま行くと写真のような通路があるので、そのまま突っ切ってしまってください。
大通りに出て、横断歩道を渡ると相鉄線西横浜駅です。
駅へ続く歩道橋の手前には、総合案内サイン「袖ヶ浦から工場・鉄道、水道道へ」が立っています。

西横浜駅は相鉄線の駅ですが、すぐ横をJR東海道線・横須賀線の線路が通っています。
そのため、歩道橋の上からはたくさんの線路が眺められますよ。
相鉄線西横浜駅
開港後の横浜の歴史をたどる散歩道
横浜は1859年(安政6年)の開港以来、大きな発展を遂げてきました。
「暮らしの温故知新のみち」は、そんな歴史をたどることのできる散策ルートです。
なかでも野毛山公園は、歴史を感じながらのんびりくつろぐこともできておすすめ。
何度も訪れたことがあるという方も、過去を振り返りながら歩くとまた違った面白さを感じていただけるのではないでしょうか。
散策ルート全体に坂道が多いので、ゴール後は達成感を得られるのではないかなと思います。
坂道が多いと言われる横浜の街。
ぜひ、実際に歩いて確かめてみてください。




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