「真壁」という街があります。
「まかべ…? どこですか?」
茨城県にある筑波山の北のふもとの辺りです。最近「上曽(うわそ)トンネル」という道が開通して、茨城県の東側からも行きやすくなった街。
「つくば市や筑波山は知っていますが、真壁はあまり知らないですね…」
それはもったいない! 特に二月や三月にはもったいない。なぜならこの真壁の街で、見逃せない一大イベントが開催されるからです。
「一大イベント…?」
その名も『真壁のひなまつり』!

「ひなまつり…。それって各家庭で行うものなのではないでしょうか?それにイメージ的には『三月三日』に行うもの。二月では、まだひな祭りには早いのでは…」
違うんです。『真壁のひなまつり』は三月三日を最終日として、その前の「約一か月間」にわたって街中で大々的に開催されるんです!
「一か月! 街中で…? ひなまつりを!?」
このイベントを紹介いたします。なお掲載した画像は、2025年に開催された前回のものも含まれています。
真壁の歴史と地理
では、イベントの紹介に先立って、真壁の歴史と地理を紹介しましょう!
真壁は茨城県の筑波山の北のふもと。桜川市にある街です。街からは筑波山がよく見えます。それだけではなく、加波山や足尾山など、八溝山地の南部、「筑波連山」の山々が一望できる街です。
「真壁の町並み」は新しいというより、どこかひなびた、郷愁を誘う古い町並み…。

その町並みの一角に『真壁物語』が展示されていました。この記述を参考に歴史を紹介していきます。

真壁、という地名の由来は、元をたどれば、天皇家の皇子の名前に由来しています。
雄略天皇の第三皇子、清寧天皇は生まれつき体が弱く、髪の毛も白かったそうです。雄略天皇はこの子を不憫に思って皇太子にします。…しかし、清寧天皇は即位するとすぐにこの世を去ってしまう。
雄略天皇はおおいに悲しみ、この子の名を後世に遺すべく、天領地の一部に「白髪部」という地名を付けました。「しらがべ」という地名です。大化の改新の後、白髪部は「白壁」と名前を変え、「白壁郡」という郡の名前になりました。
しかし785年、後に平安京への遷都でも有名になる桓武天皇は、父親の光仁天皇の名前が「白壁」であることからこの字を使うことを避け、郡の名前を変えさせるのです。白壁郡は「真壁」郡に変わった。
これが「真壁(まかべ)」の地名の由来なのです。
「清寧天皇の故事から白髪部になり、それが白壁になり、平安時代になる直前の頃に真壁に変わったんですね…!」
真壁伝承館
…真壁の歴史に興味が湧いてきましたか?そんな方にぴったりの施設があります。『真壁伝承館』です!

この施設では、真壁の街の歴史を豊富な資料から追っていくことができます。建物は新しく、とても綺麗。名産の石がふんだんに使われた通路も一見の価値があります。

ここでは「真壁氏の猪」と呼ばれる旗指物が展示されていました。鎌倉時代から約400年、真壁地方を治めた真壁氏のもの。武士たちは武名を上げるために、旗指物を掲げて戦った。その旗指物のモチーフが「猪」!
「猪突猛進。強そうな旗指物ですね!」
真壁氏は、平安時代末期から鎌倉時代、南北朝時代、室町時代を通してこの地で武勇を誇ってきました。戦国時代には北部の佐竹氏との関係を深めます。特に真壁氏幹(まかべうじもと)という武将は、長さ2メートルにもなる木の杖「樫木棒」をぶんぶん振り回しながら戦場を駆け抜け、『鬼真壁』という異名をつけられたそうです。彼の一族は後に佐竹氏の家臣となります。
「…江戸時代もずっと真壁氏が真壁の街を治めていたのでしょうか?」
いえ、関ヶ原の戦いの後、佐竹氏は秋田に転封され、真壁氏もついていきました。代わってこの地を治めたのは、豊臣家の五奉行の一人、浅野長政。彼は東軍についたため、真壁の地を与えられたんです。
真壁の浅野家は初代の長政、二代目の長重の後、笠間に転封となり、真壁も合わせて笠間藩になります。(ちなみにこの笠間・真壁の浅野家は後に播州赤穂藩に転封となり、これが『忠臣蔵』の赤穂藩の浅野家になります)

ということで、真壁の街には「真壁陣屋」が設けられ、代々、笠間藩の大名たちに治められてきました。陣屋の前には「御陣屋前通り」がつくられています。400年ほど経った今も、町並みは変わっていません。
真壁の石
…では、明治以降の真壁はどうなったのか? それを語るのに欠かせないのが「石」です。
「石…ですか?」
真壁近くの山では質の良い石材が採れます。人呼んで「真壁石」!真壁は、室町時代末期から始まったと言われる石材業の街でもあるのです。
この真壁石、かの有名な迎賓館赤坂離宮でも使われている。そう、明治時代には、文明開化とともに
「石の文化」が日本に流入したんですね。それまで木材でつくられていた建物を、欧米風に石材でつくられることも増えていく…。特に、外国の賓客をもてなす迎賓館などには積極的に使われています。

建物ばかりではなく、燈籠にも使われました。「真壁石燈籠」は今でも真壁の特産品の一つ。真壁庁舎の前には、立派な燈籠がありました。真壁では、石材採取とその加工業がおおいに栄えたのです。
個性豊かなひなかざり
ここまで、真壁の歴史と地理をざっとお伝えしてきました。では、ここからは、絢爛豪華で個性的な真壁のひなたちを存分にお楽しみください!
まずは、段に置かれたひなかざり…。

次に、畳の上に置かれた花とひなの競演!

本を読んでいるユニークなおひな様もいました。「きょうの健康」や「きょうの料理」を読んでいますね。

屋外にもいました。ヘリテージストーン、天然石材遺産にも認定された石を使ったおひな様もある!

「す、すごい…! 個性豊か…!」
これらは、ほんの一端。「真壁のひなまつり」では、きっと素晴らしいひなたちとの出会い、そして温かい真壁の街の方たちとの出会いが、皆様を待っています。
…私が真壁の街を去ろうとした時です。
ふと、真壁庁舎の前から振り返ると、二体の石像が筑波山を眺めていることに気付きました。「最後の大名」とも呼ばれて、1937年、昭和時代まで長生きした浅野長勲(あさのながこと)と、その妻です。

彼は、真壁藩の祖、浅野長政の一族である広島藩浅野家の第十二代藩主でした。明治時代以降にはイタリア公使、幼少期の昭和天皇の養育係などにも就任して活躍。一族にゆかりのある真壁の街への振興支援も行っていたそうです。
真壁は一見、ひな(鄙)びた街。派手なものはあまり無さそう…。
しかしその街には、古代から続く輝かしい歴史と地理、個性あふれるひなまつり、それらを伝承し、連綿と未来へと受け継いでいく人たちが息づいているのでした。
真壁伝承館
〒300-4408 茨城県桜川市真壁町真壁198
◆公共交通機関:真壁の街には現在、電車の駅がありません。最寄り駅のJR水戸線の岩瀬駅などで下車してバスやタクシーで向かう形になります。ただ、イベント時にはつくばセンターなどから臨時バスが出ることがあります。
◆自動車:最寄りの高速インターは北関東自動車道の「桜川筑西インター」です。インターを降りた後、国道50号線を水戸方面に東に向かい、鍬田の交差点から南に曲がります。道なりに筑波山方面に進んでいきますと、筑波山の北のふもとに真壁の市街地が見えてきます。
ただ「真壁のひなまつり」イベント中の週末は、ひなまつり会場の中心地が交通規制(歩行者天国)になります。混み合うことが予想されますので、決められた駐車場に停めてください。




