前編では、明治初年創業の老舗酒屋「酒のながた」、立ち飲み「ナガタ」を通して、天満に根付くお酒文化や人とのつながりに触れてきました。
暖簾の向こうから聞こえてくる笑い声。初めて訪れても自然と会話が生まれる距離感。そこには、ただお酒を飲むだけではない、天満らしい“人が集まる理由”がありました。そして、その温かな空気の背景には、明治初年から続く「酒のながた」の長い歴史があります。
今回は、「酒のながた」に流れる人情とともに、暖簾を守り続けてきた永田さん一家の歩みについて伺います。
受け継がれてきた“信頼”と“家族のかたち”

最初にお話を聞かせていただいたのは、三人兄弟のお母様である武子さんです。取材中も、お酒を注ぎながら忙しく店内を動き回る姿が印象的でした。
そんな武子さんによると、資料として残っている中で「酒のながた」が確認できるのは、明治初年から。「明治初期と言ってるけど、もしかしたらもっと前からかもしれへんね」
そう笑いながら話してくださいました。その言葉に、常連客の方が
「明治前って幕末やないですか!」
と反応し、店内には思わず笑いが起こり、歴史好きにはたまらない空気が流れていました。
また、「酒のながた」は、後継ぎがいない時代には親戚筋から受け継ぐ人が現れ、暖簾を守り続けてきたそうです。長い歴史の中で、たくさんの人の思いや支えが積み重なり、今の「酒のながた」があることが伝わってきました。
さらに武子さんは、戦後の天満についても話してくださいました。
「この辺りは戦後、焼け野原やったんよ。そこから地域のみんなで少しずつ復興してきたんです」
すると横から七代目・博之さんが、
「今はJRができたから、あっちが“天満”って言われるけど、本場の天満はここらへんやねんで!」
と笑顔で一言。さらに博之さんのお話から天満という街について調べてみると、この地域は昔、今よりも“船文化”が中心だった時代があったそうです。
大川沿いは水運の便が良く、人や物が集まることで市場が発展。江戸時代には、現在の北区天満2〜4丁目、天神橋1丁目、南天満公園周辺にかけて「天満市場」が広がっていました。
大阪の豪商「淀屋」の二代目・个庵(こあん)が開いた青物市場が始まりともいわれ、“天下の台所”大阪を支える市場のひとつとして栄えていたそうです。多くの商人や農家の人々が行き交い、この地域は大きな賑わいを見せていました。その名残もあり、今でも川沿いには乾物屋や酒屋、エンジン屋など、昔ながらの商売を続ける店が残っています。
武子さんが話してくださった「焼け野原」という昭和二十年の大阪大空襲を経て、この街が再び人の力で復興してきた歴史も感じられました。
長い時間をかけ、人や商いが受け継がれてきたからこそ、今の天満の空気が残っているのかもしれません。

“継がなくていい”と言われた7代目
1995年(平成7年)、博之さんが『酒有連大学』に在学していた頃、授業の一環で京都の酒屋に住み込み修行をしていたとき、六代目であるお父様が倒れたそうです。
「あれは阪神・淡路大震災があった年やったかな。その頃に一回退院できてん。」
と武子さんはその当時を振り返ります。その後、博之さんは酒販の世界で経験を積みながら、「酒のながた」で家族とともに働くようになりました。
そして2008年(平成20年)。六代目はゴルフ場で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となります。突然の出来事の中、「酒のながた」を継いだのが、長男である博之さんでした。
武子さんは、「小さい頃から、継ごうとは思っていたんやと思う」
と当時を振り返ります。しかし、酒屋という仕事は決して簡単なものではありません。
六代目が突然亡くなられた当時、博之さんはまだ三十代半ば。親戚からは「若いんやから、無理に継がんでもええ」という声もあったそうです。店を閉める話も出ていたといいます。
それでも博之さんは、「酒のながた」を守る決心をしました。長い歴史の中で受け継がれてきた暖簾を、途切れさせたくない。そんな思いもあったのかもしれません。
武子さんは、「ありがたいことです」と、穏やかな表情で息子さんについて語ってくださいました。
“継がなくていい”そう伝えることも、きっと簡単ではなかったはず。それでも暖簾を守ることを決めた博之さん。さらに、その店を支えたいと集まった次男の達也さん、三男の貴寛さん。
取材中、武子さんは何度も「息子たちは本当に素敵なんです」と嬉しそうに話していました。
その表情からは、店を守り続けてくれている息子さんたちへの深い愛情と誇りが伝わってきます。
また、取材中も自然に武子さんを気遣いながら支える息子さんたちの姿からは、家族の温かな関係性が感じられると共に、この店や地域、人とのつながりを大切に思う気持ちが感じられました。
大阪らしく進化した“角打ち文化”
「角打ち(かくうち)」という言葉を聞いたことがあっても、実際の意味まで知っている人は少ないかもしれません。天満には、今もそんな“角打ち文化”が自然に残っています。
七代目によると、角打ちとは、酒屋で購入したお酒を
「ごめん、ちょっと飲ませて」
と、店内の角で飲ませてもらったことが始まりだそうです。
発祥には諸説ありますが、北九州などから広がり、大阪にも根付いていったのだとか。しかし、ただ角打ちをするだけでは終わらないのが大阪らしさ。
「せっかく飲むなら、料理も出そう」
そんな大阪らしいサービス精神から、酒屋の横で料理やお酒を提供する立ち飲み文化へと発展していったのかもしれません。
七代目の話を聞きながら、私はそんなことを感じました。ただお酒を飲むだけではなく、人が集まり、会話が生まれる場所。天満の角打ち文化には、そんな大阪らしい温かさが今も残っています。
地域とともに続いてきた店
取材中、武子さんは忙しく店内を動き回りながらも、周囲に気を配り続けていました。
「なかなか思うように動かれへんこともあるけど、息子三人が助けてくれるから」
そう笑顔で話す姿からは、家族の支え合いが自然と伝わってきます。
また、その日店には永田さんご兄弟のお子さんの姿もありました。そばにいた方を家族かと思っていると、なんとご近所の方。
「今日はこのまま孫、泊まるねん」
と武子さんは笑顔で話してくださいました。
“地域みんなで子どもを育てる”
そんな言葉がありますが、まさにそれを自然に体現しているような空気でした。長い歴史の中で、この店が地域とともに歩んできたことが伝わってきます。
次世代へと受け継がれてきた暖簾

写真左から、次男・達也さん、母・武子さん、長男で七代目の博之さん、手前が三男・貴寛さん。
それぞれ役割は違いながらも、家族で「酒のながた」を支え続けています。長い歴史の話を聞いていると、どこか“老舗”という言葉だけでは表せないものを感じました。
戦争や震災、時代の変化。さまざまな困難を乗り越えながら、この場所を守ってきた永田さん一家。
けれど、その歴史を支えていたのは、特別なことではなく、人とのつながりだったのかもしれません。取材の最後、家族写真を撮らせてもらうと、誰かが変顔をして、また誰かが笑う。気づけば店の中には自然と笑い声が広がっていました。
明治初年から続く「酒のながた」。長い歴史を持ちながらも、そこに流れていたのは、どこか肩肘張らない温かな空気でした。人と人との距離が近く、自然と会話が生まれる。そんな“天満らしさ”が、今もこの場所には変わらず残っています。
酒のながた・立ち飲みナガタ
住所:大阪府大阪市北区天満4丁目5-15
営業時間:
酒のながた:9:00~18:00
立ち飲みナガタ:17:00~20:00
定休日:
酒のながた:日曜日・祝日
立ち飲みナガタ:水曜日・土曜日・日曜日・祝日
※営業時間・定休日は変更となる場合があります。ご来店前に店舗へご確認ください。
電話番号:06-6351-1971
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気になる方はぜひチェックしてみてください。



