地方創生メディア  Mediall(メディアール)

オンリーワン・ナンバーワンがそこにある 応援の循環を作る 地方創生メディア

スポット  |    2025.03.05

琵琶湖北西部の城下町で地域おこしの牽引役|高島びれっじの30年【前編】

大溝の町の中で、アイコン的存在の高島びれっじ。写真は1号館
高島びれっじは大溝の町の中で、アイコン的存在だ。写真は1号館

滋賀県高島市の大溝地区の表通りにタイムスリップしたような一角があります。「見越しの松(外塀から乗り出すように植えられた松)と杉玉を下げた玄関のある「造り酒屋」「大溝祭の曳山の収蔵庫」、そして「数軒の古い商家」が並んでいるのです。

これら古い商家には「高島びれっじ」の名前がつけられています。たまたま残ったのではありません。「町を寂れさせてはいけない」という地元の人たちの努力の成果です。

30年にも及ぶ高島びれっじの活動をご紹介します。

「高島はどうせ寂れていく町だ」

滋賀県高島市の大溝地区は城下町です。織田信長の命で信長のおいの信澄(のぶすみ)が大溝城を完成させ、城主となりました。江戸時代に入ると2万石の大名・分部家が陣屋を置き、そのまま明治まで続きました。

「八幡商人」「日野商人」などと並んで近江商人の一団である「高島商人」の拠点としても知られています。

最初に触れた「タイムスリップしたような一角」は江戸時代から続く目抜き通りにあります。戦後も商店街になっていました。

しかし、高度成長期の後半には「お店が一軒一軒と抜けていく。その跡は空き家、あるいは、普通の民家となり……」が続きました。当時、日本中で地方都市が衰退しましたが、大溝地区もその例外ではなかったのです。

「『高島(旧・滋賀県高島郡高島町)は、どうせ寂れていく町だ』といったあきらめの声もありました」。高島びれっじスタートの中心人物である今西仁さんは、振り返ります。

最初の1軒の再生で地域おこしに火が付いた

高島びれっじ誕生の中心、今西仁さん
高島びれっじ誕生の中心、今西仁さん

平成の大合併で、高島町は周辺の町とともに高島市となりました。高島町をエリアとしていた高島町商工会も同様で、合併して高島市商工会となりました。ただし、これらは後の話です。高島町の中心が大溝地区で「消えてなくなる」といわれたのは高島町です。当時、今西さんは40歳を過ぎたばかりでした。地元で金物屋を営んでおり、高島町商工会の会員でした。

古い商家を仲間の手弁当の作業で再生

1号館の鴨居には、いつの頃のものかもわからない箱が残されていて、中には提灯が入っている
1号館の鴨居には、いつの頃のものかもわからない箱が残されていて、中には提灯が入っている

「このままじゃいけないと思ってね、商工会の仲間とあちこち視察して回りました。たとえば、商家がたくさん残っている奈良町(奈良県奈良市)ですね。でも、そのままこちらで実践できるようなお手本は見つかりませんでした」

そうやって手をこまねいているうちに、かつては油屋だった築150年の商家が取り壊されるとの話を耳にします。長く空き家になっており、持ち主は東京に住んでいました。

「ちょっと待ってくれ。できれば固定資産税相当ぐらいの金額で地元に貸してくれないか」。今西さんは交渉し、成功しました。しかし、傷みがひどくてそのままでは使えません。また、改装しようにもお金がありません。

仲間を募りました。15人ほど集まりましたが、大工などの専門家はいません。メンバーは仕事が休みの日などに顔を出し、素人ながらも改装工事に取り組みます。「手弁当」というだけでなく、2,600万円ほどかかった改装費はこのメンバーの持ち寄りと銀行からの融資でまかないました。

1年ほどの作業ののち、完成しました。現在の高島びれっじ1号館です。1997年、まずは民芸物産店としてスタートしました。

2号館は商工会青年部が手掛ける

2号館では現在、ベーカリー、飲食店、美容室が営業中。裏の元は蔵だった建物は8号館となり、カフェ兼バーが入っている
2号館では現在、ベーカリー、飲食店、美容室が営業中。2号館裏の蔵だった建物は8号館となり、カフェ兼バーが入っている

今西さんらがこつこつと商家を再生してく姿は、地域の他の人らも動かしました。

1号館の完成直後に高島町商工会青年部が同様に古い商家の再生に取り掛かりました。1号館の斜め前にある元は醤油屋だった建物です。1号館よりもさらに50年も前に建てられ、城下町大溝で最も古い建物です。こちらは「高島びれっじ2号館」となりました。

当初の内部は染色工房・ガラス工房です。また、それらの体験教室も常時開かれるようになりました。

その後も商家などの再生は続きました。鉄筋コンクリートの建物でもレトロな雰囲気に改装し、高島びれっじの施設のひとつになったものもあります。今では8号館まであります。

地元の人の努力に、追い風が2度吹いた

高島びれっじが世に知られるようになるのに、2度大きな追い風が吹きました。というよりも、地元の人たちの努力が、追い風を呼び寄せました。

「魅力ある地域づくり」として国交省から表彰

まずは、1999年の「手づくり郷土賞(てづくりふるさとしょう)」の受賞です。地域の自然や歴史、文化などを生かした魅力ある地域づくりを表彰するもので、国土交通省が主催しています。1986年に始まりました。地域の社会資本(施設や環境など)と、それを活用する地域活動が一体となった取り組みを評価します。

表彰の目的は「各地の好事例を広く紹介し、個性的な郷土づくりを推進すること」です。

「これで、地域おこし・地域づくりの成功例として知られるようになりました。観光客だけでなく、各地からの視察も来るようになりました」と今西さんは話します。かつて、手本を求めて全国を巡っていたのが、今度は手本とされる側になったのです。

「大溝の水辺景観」として重要文化的景観に選定される

かつては大溝城の堀としても使われた乙女ヶ池。大溝の城下町などと一緒に、重要文化的景観に指定されている
かつては大溝城の堀としても使われた乙女ヶ池。大溝の城下町などと一緒に、重要文化的景観に選定されている

2015年には、城下町部分を含む約1,400ヘクタールが「大溝の水辺景観」 として重要文化的景観に選定されました。

「重要文化的景観」の制度は2005年の改正文化財保護法で定められ、「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地」を保護するのが目的のひとつです。現在、東京の「葛飾柴又」など70箇所あまりが選定地になっています。

歴史が感じられ、人目を引く高島びれっじは、広い選定地の中でアイコンの役割を果たしています。

後編はこちら

琵琶湖北西部の城下町で地域おこしの牽引役|高島びれっじの30年【後編】

記事をシェアする

この記事を書いた人

柳本 学

滋賀県大津市在住のライター兼カメラマン。守備範囲を広げ、「あまり例のない、文章・写真から制作まで一括で請け負えるホームページクリエイター」としても活動しています。ビジネス、文化、科学技術なども書いてきましたが、地域社会に重点を移す途上です。かつては全国紙 の記者・カメラマンでした。取材参加は阪神・淡路大震災、オウム真理教本部捜査(山梨県)、村山富市・金泳三日韓首脳会談(ソウル)など。稲盛和夫さん、松田聖子さんらのインタビューも撮りました。ホームページ:https://atelier-pentad.com/

関連記事