歴史  |    2026.10.31

今も残る近代横浜の面影|横浜都市発展記念館の土木遺構と旧居留地消防隊地下貯水槽遺構

1853年(嘉永6年)、ペリーが浦賀に来航。
その6年後の1859年(安政6年)、横浜は開港しました。

開港にともない、それまで100戸ほどの寒村だった横濱村にはさまざまな国から外国人がやってきます。
そして全国各地から日本人も集まって、街の風景は大きく変わっていきました。

横浜の街には、今もその時代の面影がたくさん残っています。
そのなかから本記事では、横浜都市発展記念館の中庭に展示されている「近代横浜の土木遺構」と、そこから1分ほどの場所にある「旧居留地消防隊地下貯水槽遺構」を紹介しましょう。

横浜都市発展記念館の近代横浜の土木遺構

横浜都市発展記念館 中庭

みなとみらい線「日本大通り駅」からすぐの場所にある横浜都市発展記念館。
横浜の街がどのように発展していったのかを学べる施設で、建物自体も横浜中央電話局の局舎として1929年(昭和4年)に建てられた歴史的建造物です。

その中庭に展示されているのが、近代横浜の歴史を伝える土木遺構。
施設の屋外にあり、入館しなくても自由に見学することのできるエリアなので、この辺りをお散歩したついでにサクッと立ち寄ってみてもよいでしょう。

卵形下水管

卵形下水管

複数並んだ土木遺構の、一番右にあるのが「卵形下水管(らんけいげすいかん)」です。
2001年(平成13年)に、県庁前の日本大通りで発見されました。

これは、明治10年代半ばに設置されていた下水管です。
その頃、この周辺の地下にはレンガ造りの下水道網が広がっていたんだそう。
下水道の先にあるマンホールもレンガ造りでした。

ちなみに、断面が卵形をしている理由は常に一定の流速を確保するためです。

横浜市瓦斯局のガスタンク基礎

横浜市瓦斯局のガスタンク基礎

右から2つ目にある遺構が、「横浜市瓦斯局(よこはましがすきょく)のガスタンク基礎」です。

明治時代、日本で初めてのガス製造会社「横浜瓦斯会社(よこはまがすがいしゃ)」が設立。
(東京ガスのサイトには「横浜瓦斯燈会社」とあり)

そして1872年(明治5年)には、日本で最初のガス灯が横浜・馬車道通りに点灯します。

横浜瓦斯会社があった場所は、現在、横浜市立本町小学校が建っている中区花咲町。
2013年(平成25年)に小学校内の発掘調査をした際に、製造したガスを蓄えておくガスタンク(ガスホルダー)の基礎部分が発見されたそうです。

なお、横浜瓦斯会社はその後「横浜市瓦斯局」となり、1944年(昭和19年)には東京ガス株式会社と合併しました。

国内最古のガス管

国内最古のガス管

ガスタンク基礎の左隣が、「国内最古のガス管」です。
こちらも、ガスタンク基礎が発見された横浜市立本町小学校の校庭から見つかりました。
ガスタンク基礎より前の、2002年(平成14年)に発見されています。

ガス管には「RL&S」の刻印があり、これはガス会社創業時に資材を購入したイギリスの会社のイニシャルなのだそう。
そのため、このガス管は日本最古のものでほぼ間違いないとされています。

明治時代、工場で製造されたガスは地中に埋められたこのガス管を通って、街中のガス灯へと送られていたんですね。

神奈川台場の石

神奈川台場の石

一番左側の土木遺構が「神奈川台場(かながわだいば)の石」です。

神奈川台場を設計したのは、あの勝海舟。
横浜が開港した直後に、湾岸警備のための砲台(ほうだい・大砲などを設置するための台座)として現在の神奈川区に造られました。

1860年(万延元年)に完成しましたが実戦で使われたことはなく、外交使節が来航した際の祝砲などに利用されたそうです。

ガス灯

横浜都市発展記念館の入口に向かって左側には、「ガス灯」が立っています。
神奈川台場の石の並びではないので、見逃さないように注意しましょう。
(私は、初回訪問時には気付きませんでした)

明治時代のガス灯を復元したものとのこと。
この台座にも、ガス管と同じイギリス・レイドロー社の文字があったそうです。
灯りがついていますが、この灯りは実際にガスで点灯させています。

横浜都市発展記念館

住所:神奈川県横浜市中区日本大通り12
TEL:045-663-2424
アクセス:みなとみらい線「日本大通り駅」3番出口すぐ
     JR関内駅南口から徒歩10分
開館時間:9:30〜17:00
休館日:毎週月曜日、年末年始ほか

土木遺構のある中庭は、横浜都市発展記念館に入館することなく自由に見学できるエリアです。
「日本大通り駅」からは歩いて1、2分ほどです。

旧居留地消防隊地下貯水槽遺構

旧居留地消防隊地下貯水槽遺構

「旧居留地消防隊地下貯水槽遺構」があるのは、横浜都市発展記念館の中庭から横浜公園方面へ1分ほどの場所です。

1863年(文久3年)12月に居留地内で火災が発生。
それをきっかけに、1864年1月に「居留地消防隊」が組織されました。

1871年(明治4年)から1899年(明治32年)まではここを本拠地として活動しており、1893年(明治26年)頃に防火貯水槽が造られました。

旧居留地消防隊地下貯水槽遺構

中を覗くと、石積みの遺構が……。
まるで、周囲の街並みとは別次元の時間が流れているようです。

「消防救急発祥之地」の銘板

居留地消防隊の本拠地としての役割を終えた後は、日本の近代消防の発展を支える拠点にもなりました。
1914年(大正3年)には日本初の消防車が、1933年(昭和8年)には日本初の救急車が配置されたそう。

入口には「消防救急発祥之地」と刻まれた銘板も掲げられています。

また、ここは1919年(大正8年)に第二消防署(現在の中消防署)が開設された場所でもあり、近くには「中消防署開設の地」の銘板もありました。

地下貯水槽

居留地消防隊が去った後も貯水槽は大切にされ、1972年(昭和47年)まで使用されてきました。
現在はその役目を終えましたが、地下水の流入は続いており、今でも常時貯水された状態だそうです。

旧居留地消防隊地下貯水槽遺構

住所:神奈川県横浜市中区日本大通13
アクセス:みなとみらい線「日本大通り駅」3番出口から徒歩2分
     JR関内駅南口から徒歩10分

街の景色に溶け込むように残る遺構です。
数分ほどで見学できるので、ぜひ立ち寄ってみてください。

横浜の街に点在するかつての面影

今から150年ほど前、横浜の地はこれまでにないほどの大きな転換点を迎えていました。
西洋の文化が急激に入り込み、またとないほどの活気に溢れていたのではないでしょうか。

あれから時間が流れ風景はずいぶんと変わりましたが、街を歩いていると意外なところにかつての面影を発見できます。

今回紹介した遺構はどれもそれほど時間をかけずに見学できますので、近くを通られた際はぜひ立ち寄ってみてください。

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この記事を書いた人

もりや 未久

横浜に住んで、気付けば25年近くが経ちました。 私が大好きな横浜の魅力を、少しでも多くの方に伝えていければと思っています。 横浜のちょっとマイナーな部分も紹介していきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

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