黒船来航に始まる、激動の幕末。誰もが日本の未来を真剣に考え尽力しましたが、明治維新で江戸幕府が倒されると、幕府側の人々は「逆賊」とされてしまいました。その一人が、2027年大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公・小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)です。
神奈川県横浜市にある「神奈川県立図書館」では、小栗上野介忠順にスポットを当てた企画展を開催。
2027年は小栗の生誕200年の年でもあります。そんな節目の年に、横浜や横須賀ともゆかりのあった彼の業績を、貴重な資料とともに再確認してください。
企画展示「小栗上野介忠順-近代日本の礎を築いた人-」
2026年(令和8年)9月12日から2027年(令和9年)3月10日まで
小栗上野介忠順とは?

まずは、小栗忠順(おぐりただまさ)の人生を簡単に振り返ってみましょう。
1827年(文政10年)、旗本・小栗家の12代目として江戸神田駿河台(現在の千代田区神田駿河台)で誕生。
9歳(数え年)で小栗家の屋敷内にあった儒学者・安積艮斎の私塾に入門。そこで、生涯の友人となる栗本鋤雲(くりもとじょうん)と出会います。
1843年(天保14年)、17歳で初めて江戸城へ登城。その後、22歳で結婚。
1853年(嘉永6年)、浦賀にペリーがやってきます。
そして、1860年(万延元年)。34歳で遣米使節団の「目付」に大抜擢され、ポウハタン号でアメリカへ。目付は「正使」「副使」に次ぐ重要な役職です。
その後、アフリカやアジアをまわって約9ヶ月後に帰国。帰国後は外国奉行に就任。
1861年(文久元年)にロシア軍艦が対馬を占領した際、外国奉行として対馬へ派遣されますが問題は解決できず…。幕府に対して様々な想いもあり、外国奉行を辞任しました。
1862年(文久2年)、36歳で勘定奉行に就任。
横須賀製鉄所を建設
実は小栗は、アメリカから帰国して以来、アメリカで見たような本格的な造船所を日本にも建設したいと考えていました。しかし、この当時のアメリカは南北戦争中のため協力を依頼できません。かといって、イギリスやロシアを頼るのは避けたい…。
そんな折、フランスが幕府の軍艦を完璧に修理。そして、フランスと幕府との仲介役は少年時代の友人・栗本鋤雲でした。
小栗は喜んで、フランスに造船所建設の技術援助してもらえるよう栗本とともに交渉。これは、駐日フランス公使ロッシュにとっても嬉しい話です。かくして計画はスムーズに進み始め、建設の技術面は技師ヴェルニーが統括、建設予定地は横須賀村に決まりました。
そして1865年(慶応元年)11月15日、ついに「横須賀製鉄所」のくわ入れ式(起工式)が行われます。幕府内外から批判はあったものの、この製鉄所は日本の近代化に重要な役割を果たすと、小栗は信じていました。
横須賀製鉄所の名称は、その後「横須賀造船所」「横須賀海軍工廠」と変更します。場所は、現在の米海軍横須賀基地の辺りでした。今では近くに「ヴェルニー公園」が整備されており、園内には小栗とヴェルニーの胸像もあります。
横浜でも製鉄所と学校を建設
横須賀とゆかりの深い小栗忠順ですが、実は横浜ともゆかりがあります。
横須賀製鉄所を建設する前、準備として横浜に小規模な製鉄所を建設しました。それが「横浜製鉄所」で、現在のJR石川町駅裏(中華街側出口)にありました。今は何の痕跡もなく、案内板が立っているだけです。
さらに、「横浜仏蘭西語学伝習所(よこはまふらんすごがくでんしゅうじょ)」も設立。フランス語を学ぶだけでなく、数学や幾何学、地理、歴史など幅広い知識を学べる学校でした。卒業生の多くが、日本の近代化に貢献しています。
学校は「弁天池の北隣」にあったそう。現在の中区本町6丁目で、横浜市役所の辺りです。
新政府軍に無実の罪を着せられ…
1868年(慶応4年)に戊辰戦争が勃発。小栗は新政府軍との徹底抗戦を主張しますが、結果的には全ての役職を解かれてしまいました。
そのため、妻子や家臣らとともに領地の上野国群馬郡権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)へ移り、ここで暮らしていくことに。しかし、引越からわずか65日後に無実の罪で新政府軍に捕えられ処刑されます。享年42歳でした。
企画展示「小栗上野介忠順 -近代日本の礎を築いた人-」

企画展示「小栗上野介忠順 -近代日本の礎を築いた人-」が行われているのは、神奈川県立図書館(横浜市西区紅葉ケ丘)に入ってすぐ左手の「本館1階ギャラリー」です。
誰でも自由に、無料で見学できます。

開放感のあるギャラリーです。

図書館が所蔵する資料とともに、小栗上野介忠順の人生や、彼が活躍した時代の神奈川の様子を知ることができます。
この写真の右奥には彼の年表があるので、最初にこちらをチェックしてもよいかもしれません。

神奈川県立図書館が所蔵する、“五雲亭貞秀 画「神名川横濱新開港圖」”も展示されています。
(展示物はマスターレプリカ)
こちらは、1860年ごろの横浜中区の本町通りを描いたもの。
まさに、小栗忠順が活躍していた時代の横浜の風景です。
浮世絵の下には現在の地図と写真も展示されており、過去と今の比較もできます。
ここは現在、横浜市役所のある辺り。
実は、1865年に小栗が横浜仏蘭西語学伝習所を設立したのもこの辺りです。
そう考えると、興味深いですね。

こちらは、1860年に「万延元年遣米使節団」としてアメリカに渡ったときの資料です。
この使節団で「目付」だった小栗は、アメリカの軍艦ポウハタン号に乗船。
アメリカ・サンフランシスコに着いた後、ワシントンやニューヨークへも行き、いくつかの船を乗り継ぎ世界一周して帰国しました。
ポウハタン号の護衛船として一緒にアメリカへ渡ったのが、勝海舟らが乗る「咸臨丸(かんりんまる)」です。
ちなみに咸臨丸は、浦賀ーサンフランシスコの往復だけで帰国しています。
ところで、小栗の役職「目付」はアメリカで「スパイ」と訳されてしまい、最初は「日本はスパイを連れてきた」と疑いの目で見られていたそう。
展示には、そんなエピソードも添えられていました。

こちらは、神奈川県立図書館が所蔵する「横須賀町明細一覽圖」です。
小栗はアメリカで「ワシントン海軍造船所」を見学。
そこで技術力の高さに驚き、お土産としてネジを持ち帰ったそう。
そのエピソードも紹介されています。
アメリカでの様々な体験が、帰国後の横須賀製鉄所建設へとつながったんですね。

映像を見られるコーナーもあります。
横須賀製鉄所に関する3種類の短い動画が繰り返し上映されていますので、立ち止まって見てもよいでしょう。
神奈川県立図書館で小栗忠順の功績を

神奈川県立図書館で行われている企画展示「小栗上野介忠順 -近代日本の礎を築いた人-」では、図書館が所蔵する貴重な資料なども紹介されています。
無料で気軽にご覧いただける展示のため、お近くへお越しの際はぜひ立ち寄ってみてください。
神奈川県立図書館
住所:神奈川県横浜市西区紅葉ケ丘9-2
(会場:神奈川県立図書館本館1階ギャラリー)
TEL:045-263-5900
アクセス:【電車】JR「桜木町駅」北改札西口から徒歩10分
市営地下鉄「桜木町駅」南1口から徒歩10分
京急「日ノ出町駅」から徒歩13分
【バス】横浜市営バス103系統(横浜駅東口始発)「戸部1丁目」下車徒歩5分
横浜市営バス「桜木町駅前」経由の系統(横浜駅東口始発)ほか「紅葉坂」下車徒歩7分
有料駐車場あり、本館に障がい者用駐車スペース1台あり、無料駐輪場あり
(駐車場の台数は限られているため、公共交通機関の利用を推奨)
開館時間:火〜金曜日:9:00〜19:00
土・日曜日、祝休日:9:00〜17:00
休館日:月曜日(祝日は開館)、第2木曜日(祝休日は翌金曜日)、年末年始、資料総点検期間
図書館URL:https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/yokohama/
展示期間:2026年(令和8年)9月12日(土)から2027年(令和9年)3月10日(水)まで
展示URL:https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/yokohama/new-info/2026/08/post-84.html
講演会「文献から辿る小栗上野介忠順」も開催!
日時:2026年(令和8年)10月25日(日)14:00〜16:00
会場:神奈川県立図書館 本館4階 学び⇔交流エリア
申込期間:2026年(令和8年)9月15日〜10月6日必着
電子申請システム、または往復はがきで申込
詳細URL:https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/yokohama/new-info/2026/08/1025.html




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