福山市では、11月から12月にかけて「ダイジョイモ」が産直市などに並びます。
沖藤邦之さんは30年前からこのダイジョイモの栽培に取り組み、福山市の気候にあった栽培方法を見出してきました。
87歳になった沖藤さんは2025年の末、管理する畑を減らしました。その畑の一部で今、若手の農家たちがダイジョイモの栽培に取り組んでいます。
ダイジョイモという食文化を引き継ぐ農家たちの物語を追いました。
福山のダイジョイモ栽培の歴史

東南アジア原産のダイジョイモはヤムイモの1種です。ナガイモやジネンジョの仲間で、ナガイモよりも水分が少なく粘りが強いのが特徴です。すりおろしてとろろにしたり、短冊切りで生食にしたり、おでんに入れたり揚げ物にしたりと、さまざまな食べ方ができます。
沖藤さんがダイジョイモに出会ったのは30年前。定年後に農業をしようと考え、準備のために入った「農業塾」で、ダイジョイモを知りました。
「ヤムイモは東南アジアでは主食。全国を回ってダイジョイモを広めていた人が、福山にも持ち込んだのが始まりです」と、沖藤さんは振り返ります。
熱帯原産のダイジョイモは、暖かい地域でよく育ちました。沖縄では『ダイジョ』、鹿児島では『つくね芋』の名前で知られています。
福山でも多くの人が栽培に取り組みました。ところが、気温が低くなると芋が腐ってしまいます。そのため、種芋を失った人たちは次々に栽培を諦めました。
しかし沖藤さんは、逆にその作りにくさに興味を持ち、栽培を始めたのです。沖藤さんが、どのような環境でダイジョイモが腐るのかをいろいろと調べた結果、15℃以下で腐ることがわかりました。そこで、種芋を冷気に触れさせないように保管すると、無事に冬を越せました。

次は栽培方法の改良です。はじめのうちはサツマイモと同様、葉が地面に広がるように植えていました。しかしあるとき、ビニールのない骨組みだけのハウスにダイジョイモを植えたところ、つるが骨組みに巻き付いて上へ上へと伸び、葉を広げていきます。骨組みだけのハウスは、ダイジョイモの葉で覆われた緑のハウスに変わりました。
土の中には立派なダイジョイモができていました。調べてみると、東南アジアではダイジョイモが森に自生し、木に巻きつきながら上へ上へと伸びていくようです。そこで、畑に立てた竹に絡ませて育てることにしました。
こうして栽培が軌道に乗ると、ダイジョイモを作る仲間も増えました。しかし、福山の人々にとって馴染みのないイモは、なかなか買ってもらえません。そこで試食販売を始めます。並行して加工品づくりにも取り組みました。
2017年には、ダイジョイモをとろろにした「冷凍ダイジョとろろ」を、その次には「ダイジョイモ入り肉団子」を作ります。ダイジョイモを原料とした焼酎の製造にも取り組みました。福山市内の学校給食に肉団子が取り入れられるようになり、ダイジョイモの認知度は少しずつ高まっていきました。

2020年に「福山ダイジョ芋生産販売組合」が発足しました。翌年、熱帯農業の権威である、鹿児島大学の遠城道雄(おんじょう みちお)教授にも協力を仰ぎます。こうした努力の結果、今では産直市に出すとすぐ売れる、人気のイモとなりました。
しかし、沖藤さんが目指すのは、ダイジョイモを福山の新たな特産品にすること。沖藤さんの夢への道は、まだその途中です。
良質の肥料で農家を支えた会社員時代

昭和40年代の福山では、日本鋼管(現・JFEスチール)福山製鉄所の進出に伴い、箕島の埋立事業が本格化しました。それまで海で魚を採り海苔を栽培して生計を立てていた漁師たちは、漁場を失って別の仕事に就きました。勤めに出る人もいましたが、埋め立てでできた土地を買い、農業を始めた人も多かったそうです。
農家に生まれた沖藤さんは、自営で自動車の部品を扱った後、食品原料メーカーで工場排水の処理を担当しました。微生物の働きで排水を浄化したあとには、有機質の汚泥が残ります。汚泥から水を抜くと、栄養をたっぷりと含んだ土ができました。沖藤さんはこの土をトラックに積み込み箕島町の農家を回って、肥料として使ってもらったのです。
その肥料のおかげで、箕島では良質の野菜が育ちました。沖藤さんは68歳までその会社で汚泥処理の仕事を続けながら、好きだった農業も始めました。
「ずっと農家を回っていて知識は結構あったので、ダイジョイモの他にも、いろいろな作物を植えました。当時は農協も、苗や種芋は売るものの栽培方法までは教えてくれませんでしたから、自分でなんとかするしかありません。自営業のときも会社員時代も、あれこれ試しながらどうにか解決策を見つけてきました。だから、難しいといわれていたダイジョイモも、なんとかできると思ったんです」(沖藤さん)
現在、福山市内でダイジョイモの栽培に取り組む農家は、沖藤さんを含めて10軒ほど。合計46アールの畑から、2,300kgのダイジョイモが採れる見込みです。そのうち1,200kgが学校給食に使われ、残りが産直市や市場に出荷されます。
車と畑を手放して後継者に出会う

コツコツと農業に取り組んできた沖藤さんでしたが、高齢になって車の運転が難しくなり、2025年末に車を手放しました。そのため、これまでと同じようには通えなくなり、管理する畑も減らすことになりました。
2026年にその畑の一部を借りたのが、箕島町の若手農家、先家茉子さんです。先家さんは畑の引き継ぎのために沖藤さんと話をするうちに、沖藤さんの豊富な経験や知識をもっと聞いておきたい、と感じました。そして、びんご農業女子会の仲間である谷本真理さんとともに沖藤さんから種芋を譲り受け、ダイジョイモ栽培に挑戦することにしたのです。

とはいえ、初めてのダイジョイモ栽培は、わからないことばかり。
植え付けのタイミングがわからず、作業が遅れてしまったり、この夏の暑さと雨の少なさに慌てたり。
「沖藤さんの畑と比べると、葉の量がまったく違っていて、まだまだだなと思います。これからどのように収穫すればいいのか、種芋をどのように冬越しさせればいいのか、教わらなければならないことが山のようにあるんです」と谷本さん。
「農」という知恵と文化を次代につなぐために

これまでは、ダイジョイモの栽培方法の研究や販路の開拓、加工品づくりなどを、沖藤さんがほぼ一人で担ってきました。
「沖藤さんの経験は大きな財産。しっかりと引き継がなくてはと思います。そして、沖藤さんが目指した特産品化を実現したい。もともとダイジョイモが東南アジアのものなら、アジア人向けの店に置いたほうが売れるかもしれません。
私たち農家だけでなく、販売のプロや加工のプロの力を合わせて、いろいろな方向からダイジョイモをプロデュースする方法を考えています。ダイジョイモには、大きな可能性がありますよ。農家の新たな収入源にできるといいですね」と先家さん。
地域の農業を引き継ぐことは、農や食にまつわる文化そのもの、そしてそこに込められた夢を引き継ぐことです。
ダイジョイモを未来へ引き継ぐため、沖藤さんは今日も、自転車で1時間半かけて畑に通います。



